大塚 愛さんが語る『さくらんぼ』秘話…「リリースされたのは節約生活が辛すぎて」!?|美ST
「40歳を超えたら自分の年齢を忘れるって本当ですね」と話すシンガーソングライターの大塚 愛さん(42歳)。大ヒットした『さくらんぼ』は2003年のリリースから20年の時を経て、韓国のSNSでも人気に。じわじわと海外に広がり、今もなお時代を超えて歌い継がれています。そんな大塚さんも40代。子育てと音楽活動に加え、今夏には油絵と書の個展も開催。『さくらんぼ』時代の秘話と、充実した今の暮らしについてお話を伺いました。
「ママ、もうお小遣いはいらないよ」娘の成長に幸せを感じる日々です
娘は自分で自分のことがかなりできるようになりました。助かってはいるのですが、それに甘え過ぎないように私自身自分を律して、子育てと家事は精一杯頑張っています。 とはいえ、娘がまだ小学生の頃は例えばトイレ掃除、お風呂掃除などをしてくれたらお小遣いをあげるというふうにしていたのですが、最近は「ママ、もうお小遣いはいらないよ」と言ってくれ、自ら家事のお手伝いをしてくれます。大人になった娘の発言にちょっと感激。そんな言葉をもらえるって、本当に幸せを感じる瞬間です。 娘と自分の健康管理のため、ご飯はほぼ自炊。娘がいるからこそ規則正しく健康的な生活を送れているとつくづく思います。 娘が自然に料理を覚えられるようにと思い、買い物も一緒に行って「この食材とこの調味料で味付けするとこのメニューができちゃうんだよ」と楽しく会話をしながら食材をカートに入れたりして。 「今日は何が食べたい?」と聞いて、和・洋・中の3セレクトでその日のメニューを決めていくんです。娘は洋食希望率が高いかな。特に唐揚げが好き。だから学校のイベントのときのお弁当にはいつも唐揚げを仕込みます。 かく言う私も若い頃からお肉が大好き。デビュー後一番忙しかった頃も、焼き肉命でした。『黒毛和牛上塩タン焼680円』という曲を作ったくらいですから(笑)。
『さくらんぼ』がリリースされたのは、家計簿の数字がつらすぎて!?
私の音楽との出会いは4歳から習っていたピアノです。中学生くらいからボイトレも始め、徐々に曲を作っていました。通っていた短大の音楽室で作ったばかりの『プラネタリウム』を弾き語りしたときは、みんなが「いい曲だね」と集まってきてくれて。それで勘違いしちゃったんです。 「就職どうしよう」という時期になって「このままだとやばい。プーになっちゃう」と焦って、デモテープをレコード会社に送り続けました。というのも、当時誰でも気軽にレコーディングをすることができる打ち込み機材のMTR(マルチトラックレコーダー)を買ってもらったんです。いちばん小さいものだったんですが、メロを入れて、ハモを入れたら、うわー、楽しい!って、ハマったんですよ。 それでデモテープをたくさん作って送ったのですが、そのなかに『さくらんぼ』もありました。 結果、デモテープが関係者の目に留まり、21歳の時、『桃ノ花ビラ』でデビューしました。最初は売れなかったし全然順調ではなかったです。今月はいくら節約できたかなと家計簿を付けていたくらいで、不安でしたね。 実は『さくらんぼ』に関しては当初から花火みたいな存在で、会社は売れることによるリスクを考えて、すぐにリリースをしたがらなかったんです。でも私は家計簿の数字がつらすぎて「先に出させてください」とお願いして、デビューから3か月後に2ndシングルとしてリリースしました。 『さくらんぼ』はロングヒットになり、走り出すと家計簿が改善(笑)。そのうちに家計簿はつけなくなり、その後の音楽活動も広がって行きました。