赤れんが造りの旧富雄変電所で解体工事が進む…一部はミシュランシェフの店舗に活用
奈良市の近鉄富雄駅前にある「旧大阪電気軌道富雄変電所」の解体工事が進められている。大正期から約110年間、赤れんが造りの外観が印象的で、多くの市民らに親しまれてきた。耐震性の問題から取り壊されることになり、ゆかりの人たちは「歴史の生き証人」との別れを惜しんでいる。(河部啓介) 【地図】奈良県
旧富雄変電所は、近畿日本鉄道(大阪市)の前身「大阪電気軌道」が1914年(大正3年)、奈良線開業と前後して建設。平屋で、4年後に増築した部分を含めて約300平方メートルの面積を有した。近鉄と社名を変えた後の69年(昭和44年)に変電所としての役割を終えたが、重厚な赤れんが造りは目を引く存在だった。
その後、ホームセンターとして活用されていた80年代にも、解体か存続かに揺れた時期があった。西側を南北に走る県道の拡幅計画が持ち上がったためだった。
この時、保存に向けて奔走したのが元近鉄社員の今津勤さん(2010年に86歳で死去)。県や市、近鉄関係者に面会したり、手紙を送ったりして建築物としての価値を訴え続けた。結果、増築部分を取り壊すことになったものの、本体部分の保存を実現。03年からはフランス料理店として生まれ変わった。
三女の田中京子さん(69)は、折に触れて家族や知人と料理店を訪れていた今津さんを思い出す。「多くの人に見てほしかったんでしょう。楽しそうに建物の魅力を語っていました」。自身も高校の通学時に近鉄の車窓から毎日眺めた。「父が情熱を注いだ存在だった」と懐かしむ。
08年からは、現代スペイン料理店が受け継いだ。オーナーの川島宙さん、友紀さん夫妻は、初出店先を探していたとき、この地を紹介された。「歴史ある建物で新しいことに取り組む点は、自分たちのコンセプトに合っていた。街の文化になることを目指していた」と振り返る。
店名は「記憶」を意味するバスク語「アコルドゥ」。評判を呼び、常に満席だった。料理だけでなく建物の魅力も満喫してもらっていた。