国会議員の「名誉毀損発言」に裁判所が異例の“賠償命令”…議員の「免責特権」から市民の名誉・プライバシーを守るには?【憲法学者に聞く】
本件判決と「免責特権」との関係
――本件で問題となったのは足立議員の院内での発言ですが、免責特権が適用されなかったことについて、どのようにお考えでしょうか。 上脇教授: 「本件の場合、足立議員の発言は、そもそも免責特権の対象となる『院内での発言』にあたらないと評価されたものといえます。 院内での発言の映像をそのまま公開しただけであれば、法的責任が免除されなければならないのは明らかです。 ところが、足立議員は、院内での発言の映像をベースにしながらも、A氏の顔写真を加えて個人名が特定できるような形に加工して配信してしまっています。 しかも、足立議員は院内で『プライバシーにかかわるので敢えて個人名は出さない』と発言していました。それなのに、YouTubeでは顔写真を出して個人が特定できるようにして配信しています。これは、院内での発言と明らかに矛盾する表現です。 したがって、もともとの発言とは別個の新たな情報を作り出して公開したと言わざるを得ません。つまり『院外での言動』ということになり、そもそも免責特権が適用される場面ではないということです」
本件判決と「最高裁の判例」との関係
――最高裁の判例との関係についてうかがいます。最高裁平成9年(1997年)9月9日判決では、国会議員が院内で名誉毀損的発言を行った場合、免責特権の対象となるとしつつ、一定の場合には国が、国家賠償法1条1項により損害賠償責任を負うとしています。この判例と本件との関係は、どのように考えるべきでしょうか。 上脇教授: 「まず、前提として、本件は、最高裁の判例が想定している場面とはまったく異なります。 本件はそもそも、『院外での発言』と評価すべきもので、免責特権の対象外と言えます。だからこそ、議員個人の法的責任を問うことが認められるのです。 これに対し、最高裁の判例の事案は、国会議員の『院内での発言』に関するもので、免責特権の対象となる場面です。あくまでも、議員個人の法的責任が免責されることを前提としたうえで、代わりに国が法的責任を負うべき場合があるとしています。 本件をきっかけとして、議員の個人責任を正面から認めるべきだということにはなりません。 それをはっきりさせた上で、私は、最高裁の判例には重大な問題があると考えています」 ――最高裁の判例の問題点とは、どのようなものでしょうか。 上脇教授: 「国会議員の代わりに国が損害賠償責任を負うケースを、かなり限定してしまっていることです。 すなわち、判旨は『国会議員が、その職務とはかかわりなく違法又は不当な目的をもって事実を摘示し、あるいは、虚偽であることを知りながらあえてその事実を摘示するなど、国会議員がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認め得るような特別の事情があることを必要とする』と述べています。そして、判例の事案でも、結論として国の賠償責任を否定しています。 この判例の基準によると、一般市民が国会議員の発言によって損害を受けたときに、法的救済がおろそかになるおそれがあります。 議員の院内での自由な発言を保障すると同時に、発言により名誉・プライバシー権が傷つけられた人の人権もきちんと保障しなければなりません。 国会議員の発言が『権限の趣旨に明らかに背いて』いようといまいと、その発言によって一般市民が名誉毀損やプライバシー侵害といった被害を受けている以上、法的な救済が与えられてしかるべきです。 それなのに、免責特権で議員の個人責任を問えないばかりか、国からも損害賠償してもらえない、法的責任が全く問われないということになると、被害者は泣き寝入りしなければなりません。 したがって、私は判例の論理には大いに問題があると考えています。議員の個人的な賠償責任は問えなくても、発言が名誉毀損・プライバシー侵害等にあたる違法なものであれば国の賠償責任は問える。それも、例外的な場合に限らない、とすべきなのです」