「先月買ってやったダイヤの指輪を返せ」と言われた美女はどうしたか? “玄人の女”を多く描いた「永井荷風」の真骨頂(レビュー)
書評子4人がテーマに沿った名著を紹介 今回のテーマは「指輪」です *** 永井荷風の描く女性の多くは玄人の女である。 初期の頃は芸者。時代の変化と共にそれが次第に私娼やカフェの女給へと変わってゆく。 大正十五年に発表された「かし間の女」は、私娼を主人公にしている。題名は男が貸間に囲っている妾という意。 関東大震災のあとの東京が舞台。地震によって古い東京が滅び、生活風俗が大きく変わりつつある時代。 主人公の菊子という女性は女優と思われるほどの美人で、二十七歳になるいままで男出入りが激しい。 一度結婚したが、書生と密通し離縁となった。それからさまざまな男性遍歴を繰返した。「何人あるか自分でもわからない位である」。 いまは、四十代の男ざかりの弁護士の妾となり、貸間暮しをしている。 男は嫉妬深く、ある時、菊子が浮気をしたと怒る。そしていう。「先月買つてやつたダイヤの指環は返して貰ひたいね」「お前の凄腕ならそんな指環くらゐ誰にだつて買つて貰へるだらう」。 菊子は驚き呆れる。これまで何人もの男と付合ってきたが、一度買ってやったものをあとから返せなどという男は一人もいなかった。 怒った菊子はダイヤの指環を指から抜いて男の顔に投げつける。 そのあと、もっと大きなダイヤの指環を買って男に見せつけてやろうと、また新しい男を探す。 荷風は菊子を決して批判している訳ではない。むしろ可愛い女として愛しく思っている。荷風の真骨頂。 [レビュアー]川本三郎(評論家) 1944年、東京生まれ。文学、映画、東京、旅を中心とした評論やエッセイなど幅広い執筆活動で知られる。著書に『大正幻影』(サントリー学芸賞)、『荷風と東京』(読売文学賞)、『林芙美子の昭和』(毎日出版文化賞・桑原武夫学芸賞)、『白秋望景』(伊藤整文学賞)、『小説を、映画を、鉄道が走る』(交通図書賞)、『マイ・バック・ページ』『いまも、君を想う』『今ひとたびの戦後日本映画』など多数。訳書にカポーティ『夜の樹』『叶えられた祈り』などがある。最新作は『物語の向こうに時代が見える』。 協力:新潮社 新潮社 週刊新潮 Book Bang編集部 新潮社
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