ラストシーンが泣ける…映画『ぼくが生きてる、ふたつの世界』吉沢亮の繊細な演技に注目すべきワケ
コーダとして生きてきた五十嵐大の自伝エッセイを原作とし、呉美保監督がメガホンを取った映画『ぼくが生きてる、ふたつの世界』が現在公開中だ。吉沢亮を主演に迎え、宿命に抗う親子の絆と苦悩を描いた本作。今回は、「社会の歪み」によって葛藤する主人公・大の複雑な感情を紐解いていく。(文・青葉薫)【あらすじ 解説 考察 評価】 ※本レビューでは映画の終盤部に言及しています。 【写真】吉沢亮が美しい…貴重な未公開カットはこちら。映画『ぼくが生きてる、ふたつの世界』劇中カット一覧
“きこえない世界"と"きこえる世界"を生きる葛藤
"きこえない世界"と"きこえる世界"。そのふたつを行き来しながら生きている人がこの国だけで2万人以上存在している事実をまるで知らなかった。 CODA(コーダ) きこえない、またはきこえにくい親を持つきこえる子供。 「ぼくが生きてる、ふたつの世界」。コーダとして生きてきた作家・五十嵐大氏の自伝的エッセイを原作に紡がれた親子の愛の物語だ。監督は『そこのみにて光輝く』(2014)『きみはいい子』(2015)の呉美保。本作が9年振りの長篇作品である。 宮城県の小さな港町。祖父母との二世帯で暮らす五十嵐家に男の子が誕生する。"大"と名付けられた赤子のお食い初めを祝う一家。 彼らがほかの家庭と少しだけ違うことを明示するのが「聞こえて良かった」と赤ん坊をあやす叔母だ。その声は傍にいる両親には届いていない。 そう、大の母・明子(忍足亜希子)は生まれつき耳がきこえない。父・陽介(今井彰人)も後天性の聴覚障碍者である。大は〈手話でコミュニケーションを取る両親〉と〈発話でコミュニケーションを取る祖父母〉の元で育っていく。 生まれたときからそれが当たり前だった彼は手話と発話という2つのコミュニケーション能力を育んでいく。
“母の文字”に込められた深い愛
子供は一心同体だった母親と誕生によって身を分かち、心を分かつ。他者の存在によって自己を認知していく。コミュニケーション能力を発達させていく。"きこえない母"と"きこえる子"のコミュニケーションの物語とも言える本作では2人が様々な手段を用いた対話で愛を育んでいく様子を丁寧に描いていく。 手話も発話もままならなかった幼い大が母と最初に密接なコミュニケーションを取るのが手紙だ。一般的な幼児のかな識字能力に比べるとかなり早熟な印象だ。 だが、子供がもっとも好むとされる"母の声"を聞けずに育った大が代わりに求めたのが"母の文字"だったと考えれば至極納得がいく。 折り紙の裏に拙い字で短い一文を書いてはいちいち表にある郵便受けに投函しにいく。部屋に戻ってきて「ゆうびんやさんきたよ」とうれしそうに母に伝える。その"いちいち"が愛おしい。 手紙の投函を知らされるたびに見せる母の喜ぶ顔はやがて大の中に「母を喜ばせたい」「母の役に立ちたい」という自己有用感、すなわち「自分が他者に必要とされているという感覚」として育っていく。