彬子女王殿下、英国留学前のご記憶「皇太子同妃両殿下(当時)からのお茶のお招き」
恐ろしいチュートリアル、終わりのない「論文地獄」......
幸いこの試験を乗り切る必要はなかった聴講生の私。しかし、授業はほかの学生と同じように受けなければならない。なかでもとくに恐ろしいのがチュートリアルだった。 毎週、小論文のタイトルと参考文献リストを渡され、翌週にそれに基づいた小論文を持参。それを先生の前で読み上げ、議論をするというものである。 日常会話ですらまだおぼつかなかった当時の私にとって、毎週のチュートリアルを乗り切ることがいかにたいへんなものであったかは、ご想像のとおりである。大教室でのレクチャーは、なんとなく座っていればお茶を濁すことができる。 でもチュートリアルは先生との会話が成立することが大前提。1対1の場合は、先生がこちらの反応を待ってくださったりもする。でもほかの学生と一緒の場合はそうはいかない。どんどん議論が進むなか、私は完全に放置されて、ひと言も発言できずに授業が終わってしまうこともあった。 この状況を改善するためには勉強をするしかないので、ほかの多くの学生と同じく学期中は図書館にこもりきりになった。ようやくエッセイを1本書き終わっても、来週までにはもう1本書かなければならない。 私は1週間に1本、毎学期8本のエッセイを書くだけでよかったが、同級生たちは毎学期10本とか12本をこなしていた。学期末になると心身ともに疲労困憊である。 始まる前は「1学期8週間なんて短いな」と思っていたが、この方式では肉体的にも精神的にも8週間が限界であるということを、身をもって知ったのだった。 この終わりのない「論文地獄」とでもいうべき状況を経験して、あらためて図書館の存在をご存じなかった父のことを思う。内容はどうあれ、2年ものあいだ、図書館なしでエッセイを書き、チュートリアルをこなされていたというのは、ある意味すごいことに違いない。
「娘としては反応が難しいコメントではあったけれど」......
そういえば、こんなことがあった。皇太子殿下のチューターでいらしたハイフィールド先生が、父のチューターだったストーリー先生の奥さまと私をお茶に招いてくださったときのこと。 お二人とも殿下と父の思い出話をいろいろ聞かせてくださったが、何かのきっかけで私が父の「図書館あったかな」発言の話を披露することとなった。 それをお聞きになったストーリー夫人が、「ヒロ(皇太子殿下)はよく勉強する学生だったけど、あなたのお父さんは勉強をしてはいなかったわね。でもトモさんはオックスフォードを心から楽しんだと思うわ」とおっしゃった。 娘としては反応が難しいコメントではあったけれど、方向性は違っても、お二人ともオックスフォードの「模範」学生でおられたということなのだろう。 1年の留学を終え、学習院大学に戻り、マートン・コレッジと学習院大学の単位互換制度を用いて日本の単位に振り替えてもらった。そこで初めて知らされたのが恐るべき事実。私の1年間のオックスフォードでの苦労が、たった4単位にしかならないというのである。 先ほども触れたように講義の出席は自己判断。授業に出ていたと証明できるのはチュートリアルだけ。それも、1回60分の授業を8週間×3学期受けたことにしかならないので、時間を計算すると約4単位だという。 学習院の先生も「内容的には8とか12単位くらいあげたいんだけどねぇ」と申し訳なさそうにいってくださったのだが、どうしようもないらしい。 3年生の1年間で4単位しか取れなかったので、学習院最後の1年間は、卒業に必要な単位を取るのに必死。同級生たちが週に一度くらいしか大学に来ないところ、毎日のように大学に行く羽目になった。 いわば3年間で全部の単位を取って卒業したようなものなので、われながらよく頑張ったものだと思っている。
彬子女王