柳沢慎吾「“あばよ!”はテレビが元気だったあの時代だから生まれた言葉」キメ台詞誕生秘話と「あばよ」をやめるのを止めた大物俳優
卒業白書2024#11《前編》
俳優・柳沢慎吾さんの決め台詞「あばよ」は、今もおなじみの別れの挨拶。「卒業」シーズンの3月は、「さようなら」がよく聞こえてくるせつない季節だが、「あばよ!」の一言があれば、清々しく別れられることだろう。 柳沢さんいわく、「あばよ!」には、偶然がきっかけの誕生秘話と忘れられない大先輩からの一言があるのだとか。 【画像】キレッキレの動きで「ひとり甲子園」を披露する柳沢慎吾
「あばよ!」誕生は、とんねるず・石橋貴明さんがきっかけ
――別れの挨拶としては、すっかりお馴染みの「あばよ!」。「いい夢見ろよ!」とともに、柳沢さんの代名詞でもある言葉ですが、誕生した時期は覚えていらっしゃいますか? 柳沢慎吾(以下、同) たしか1989年にとんねるずの「ねるとん紅鯨団」(フジテレビ系)の正月特番に出演したときだったかな。バブル経済が極まっていてテレビが盛り上がっていた時代。 ――「ねるとん紅鯨団」といえば、毎回、お見合いパーティーのように何人もの一般人男女を集わせて、その様子をとんねるずのふたりがウォッチングするという番組でしたよね。 そうです。で、僕が出たのは、芸能人限定のコーナー。 元・おニャン子クラブの内海和子さんに告白して、「ごめんなさい」ってお断りされちゃうんですが(笑)、そのとき貴ちゃん(とんねるず・石橋貴明さん)に「なんか一言言ったほうがいいよ」ってそそのかされちゃって。 そこで咄嗟に出てきた言葉が「あばよ!」だったんですよ。 本当に偶然でした。貴ちゃんの一言がなければ、生まれていなかったと思います。 女性に何かしらのコンプレックスを抱えていた男性視聴者にとっては、「偉そうに!」と思われるかもしれないんだけど、きれいな女性に男がふられる構図での視聴者の気持ちを「あばよ!」のひと言で僕が代弁しちゃった。悔しそうだけど後腐れない感じがよかったのと、インパクトが強かったからウケたんだろうね。 ――ちなみに「いい夢見ろよ!」もねるとん紅鯨団で生まれたとうかがっています。 その後、2回正月特番に呼んでもらえて、またふられて(笑)、「あばよ!」ではなく別の言葉を言おうとしたときに口に出したことを覚えています。 これもとっさに思いついたの。けどよく知られている「いい夢見ろよ!」じゃなくて「いい夢見させてもらったよ!」って捨て台詞だった。多分、僕のファンがいつの間にか「いい夢見ろよ!」って言い始めて、それが浸透したんだろうね(笑)。 「あばよ!」も「いい夢見ろよ!」も、テレビが元気だったあの時代だから生まれた言葉。今の時代で同じ状況だったら浮かんでこないんじゃないですかね。