幼稚園・保育所も「子ども主体の教育」に舵切る訳 非認知能力の重視は全国的なムーブメントに
子ども主体の幼児教育を実践していた“幼児教育の父”
幼児教育が大きく変わろうとしている。そうした中で重要な位置を示しつつあるのが、「子ども主体」という言葉だ。これまで、どこが子ども主体ではなかったのか。子ども主体で幼児教育は、どう変わっていくのか。自ら幼稚園教諭の経験もあり、多くの政府関連の委員会で委員も務める玉川大学教育学部教授の大豆生田啓友氏に話を聞いた。 【写真】「不適切な保育が大きな社会問題となる中、個々の主体性や個性が尊重されることがますます重要な時代になる」と話す玉川大学教育学部教授の大豆生田啓友氏 ――幼児教育で「子ども主体」がテーマになってきています。文部科学省は「幼保小の架け橋プログラム」を掲げ、今年2月に中央教育審議会(以下、中教審)の委員会が「学びや生活の基盤をつくる幼児教育と小学校教育の接続について~幼保小の協働による架け橋期の教育の充実~」をまとめています。そこには「幼児期は遊びをとおして小学校以降の学習の基盤となる芽生えを培う時期であり、小学校においてはその芽生えを更に伸ばしていくことが必要」と記されています。つまり子ども主体は、これまでにはなかった、まったく新しい考え方なのでしょうか。 いいえ。子どもの主体性を尊重する子ども主体の幼児教育は、実は日本でも長い歴史があります。大正時代から昭和時代の教育者で“幼児教育の父”と呼ばれた倉橋惣三は遊びを中心とする子ども主体の幼児教育を、東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)附属幼稚園で実践し、普及に努めていました。 ただし、それが日本の幼児教育で根付いてきたとはいえません。戦後すぐの1948年に、「保育要領」がつくられます。幼稚園も保育園も関係なく、すべての幼児向けの指針で、子どもの遊びや生活を大事にする子ども主体の考えでした。しかし幼稚園は文科省、保育所は厚生省(現・厚生労働省)の管轄に分かれていく中で、1956年に全面改定され、名称も「幼稚園教育要領」となります。ここで小学校教育との一貫性を持たせることが強調されるのですが、ちょうど高度経済成長の時代で、それに合わせた学校教育になっていき、幼児教育も影響を受けていきます。 高度経済成長下において、幼稚園の数が爆発的に増えていきます。そこでは、小学校の準備教育としての集団適応を重視する傾向もみられました。文字の読み書きなど早期教育的なことを重視する園もありました。社会全体が受験戦争の時代でもあり、保護者もそれを強く求める傾向がありました。そのため幼稚園もそのような保護者のニーズに応えていったわけです。とくに私立幼稚園を中心に、保護者のニーズに応えていく方向へと加速していきました。 保育所は、現在は違いますが、もともとは働く保護者のために子どもを預かる施設だという位置づけでした。そのため保育所には託児的な役割が強く求められ、生活が中心で、とくに子どもの主体的な学びはいわれていませんでした。 幼稚園と保育所に対して昔のイメージをもっている方も少なくありませんが、現在では3歳以上については、幼稚園・保育所・認定こども園ともに、ほぼ同じ教育機能があるとされています。そこでは共通に、子ども主体の教育・保育が求められているのです。 現在は、幼稚園と保育所、そして認定こども園は同列になっているので、やはり子ども主体の幼児教育の方向に向かっています。 ――今、大きく変わろうとしているわけですね。何がきっかけになったのでしょうか。 転換点は1989年でした。このとき学習指導要領の改訂が行われ、それまでの学力偏重が見直され、社会の変化に主体的に対応できる、心豊かな人間の育成を図ることが基本的な狙いとされます。いわゆる「ゆとり教育」です。 それと同時に幼稚園教育要領も改訂され、幼児教育界では「倉橋惣三に帰れ」がスローガンの1つにもなりました。子ども主体を提唱した倉橋の考えに帰れというわけで、子ども主体の幼児教育を目指すことになったわけです。