17回忌「飯島愛」は、なぜクリスマスイブに「孤独死」した姿で見つかったのか “親友”モト冬樹が語っていた「最後の会話」
来るなら夜に来い!
2人が出会ったのは、日本テレビ系「夜も一生けんめい」での共演。そこで意気投合し、プライベートでも行動を共にするようになった。家族旅行に同行したり、弟の結婚式にも呼ばれたりしたという。週刊誌に「恋人」と書かれたことも一度や二度ではなかった。 「あの頃はオレも独身でフットワークが軽かったから、しょっちゅう遊びに行ったよ。映画に誘ってきたから行ったら開始10分で寝始めたり、オレがオーストラリアでお土産に買ってきた羊毛の敷物を、犬がおしっこする場所にしていたり……。なぜかアイツの家族旅行に呼ばれて香港に行ったこともある。旅行中、飯島がホテルのオレの部屋のベルを鳴らして、“買い物付き合ってよ”と言うから、ドアを開けながら“なんでだよ、部屋に来るなら夜に来い!”ってギャグで切り返したら、隣に渋い顔したお父さんが立ってたんだ。お父さん、マジメな人だからあの時は焦ったよ。ふざけてばかりで人をおちょくる奴だったけど、一緒にいると本当におかしくって仕方なかったな」
弱々しい声
「元気? ご飯でも行こうよ」 モトのところに一本の電話があったのは、彼女が亡くなる直前のこと。 「今になって考えるとだけど、電話越しの声がいつもより弱々しかったんだよね。でも、その時、オレ仕事が忙しかったの。だから、いつもと同じ軽い調子で、“また今度、時間がある時にな”って断ってしまって」 それから程なく、飯島は息をひきとり、誰にも発見されないまま1週間もの時を過ごしたのだ。
7万2000件の書き込み
彼女の死後、驚きを持って受け止められたのは、両親によって継続されたブログに、彼女に向けてのメッセージが多数寄せられ続けたことである。「あいちんは元気かな? ? って おかしいかもしれないけど…まだ何処かに居そうでさ…」「愛ちゃん いつも助けてくれてありがとう 私、愛ちゃんの愛にいつも救われてるょ。。。」。こういった書き込みは2015年に閉鎖されるまで7万2000件にも及んだ。 飯島の死後10年経ち、モトはこんな思いを抱いたという。 「あの時、会って話していたら、悩みなんかを聞くことが出来たかもしれないね。そうしたら……。アイツと付き合って味わう、唯一の後悔だな」 意外にも彼女の墓参りに行ったことは一度もない。 「だって、飯島はあそこにいないじゃん。でも、年に何度か必ず思い出しますよ。一緒に行った場所にたまたま行った時とか、ふと、ね。遊びに行ったり旅に行ったりした時も、飯島がいたら面白いだろうな、と思う。彼女がいなくなっちゃった分、芸能界がつまんなくなっちゃったなあとか、ね」 このインタビューからさらに6年が経ち、テレビの世界はますまず窮屈な場所になってきたように思える。死して16年。本音で生き続けた飯島がもしこの世にいたとすれば、建前ばかりが幅を利かせるようになった今の芸能界を、一体、どのように見たことだろうか。 デイリー新潮編集部
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