17回忌「飯島愛」は、なぜクリスマスイブに「孤独死」した姿で見つかったのか “親友”モト冬樹が語っていた「最後の会話」
170万部のベストセラー
ビデオの世界から引退し、レギュラー番組を何本も持つ「人気タレント」となった飯島が、「文化人」にまで位置づけられるようになったのは2000年。波乱万丈の人生を綴った自伝が、170万部を超えるベストセラーになった。著書の中では、妊娠、中絶、整形手術をしたことまで明かし、また父母との和解も記している。テレビドラマ化、映画化され、台湾でも翻訳出版された。とりわけ自らの居場所が見つからない女性たちに、大きな共感を持って受け止められたのである。 これを機にますます引っ張りだこになった飯島だが、この頃から心身を壊していく。身体は細り始め、収録に遅刻したり、ドタキャンしたりすることもあった。2007年には腎盂炎による体調悪化を理由に、芸能界を引退。以後はブログを更新しながら、女性のために避妊具を販売する会社の起業や、エイズ撲滅キャンペーンにも取り組んでいた。そんな最中の2008年12月24日。自宅である渋谷の21階建て高級マンション最上階の一室で、死後一週間経った状態で発見されたのである。遺書はなかった。突然の死は謎を呼んだが、後に死因は「肺炎」と発表された。 それから今年で16年が過ぎたが、今なお、その鮮烈な生き方と謎の死がメディアなどで折に触れて取り上げられている。
常に全力
そんな飯島の芸能界における「親友」がモト冬樹(73)だった。「週刊新潮」では、飯島の死から10年後の2018年、モトに取材をし、彼女の死の真相について聞いている。 「あの時(=飯島の訃報を聞いた時)、オレは映画を撮っていたんだよね」 モトはそう振り返っている。 「そしたら、共通の友達からの電話で飯島が亡くなったことを知らされた。説明するのが難しいんだけど、とにかくビックリして、がっかりしたのに、どこかで納得している部分もあるというか……。アイツ、常に全力で、周りを引っ掻き回して濃く生きてきたでしょ。これだけ驚かせるなんて、アイツらしい逝き方でもあるんじゃないかな、って」