三谷幸喜が「背中を押してくださった」、戸田恵子が俳優になるまで
◆ 「三谷さんからメールが来て『鼻から牛乳が出せますか?』」
──「絶対いいものができる」と思えると、まずはひと安心ですね。 そうですね。でも現地で舞台に立ったら、多分アクシデントがいっぱいあると思います。それを楽しもう!という気でいかないと、きっと打ちひしがれますね。だから「(アクシデントは)あって当たり前」ぐらいの、メンタル強めで。バンドのメンバーとも「もう私たちは楽しんでいい歳に来ているから、エンジョイ・ニューヨークぐらいの気持ちで行こう」と言っています。若かったら、そんなことも言ってられなかったでしょうけど。 ──もっと若かったら、気負っていたということでしょうか? 30代40代なら、それがすごくあったと思いますよ。「あわよくばニューヨークで、なにか残していこう」と考えたかもしれない。今はそんなことはさらさらなくて、今までがんばってきたご褒美だと思っています。 ──そのニューヨークの初舞台が、長年一緒にやってきた三谷さんの作品というのも、感慨深いかと思います。三谷さんとの仕事で、特に印象に残っていることってありますか? 三谷さんとご一緒したら「まだ私に、こんな小さな引き出しがありましたか?」という、おもしろい発見が必ずあります。とにかくたくさんの資料を自分のなかにお持ちだし、本当に突拍子もないことをおっしゃるので・・・たとえとしてはあまり良くないかもしれないですけど、香取慎吾さん主演のテレビ番組(『HR』/2002~2003年)のときに、三谷さんからメールが来て「鼻から牛乳が出せますか?」って。 ──はい?(笑) 聞いてみると、私になにかが起こって、振りかえったら鼻から牛乳が出ているという設定だったんですね。でも当然仕込んでおかないとできないことだから、普通の牛乳がいいのか、練乳みたいなものがいいのか、コーヒークリームがいいのかって、家でいろいろ試して、流れる感じをチェックしたんです・・・ということを言うと「じゃあ、なにが良かったですか?」「どれぐらい入りますか?」って。 ──いつの間にか話が膨らんでるじゃないですか。 いっつもそう。ラリーなんですよ。お互いにおもしろいことを言い合って、絶対もうひとつ上に乗せてくるみたいな感じになっていく。そんな風に、私が自然に生きていたなかでは出てこないような発想が、三谷さんの手にかかるといろいろ出てくるんです。たとえ本がいつも遅かろうが(笑)、それがすごく楽しいし、期待大なところですね。 ──戸田さんが「三谷幸喜のミューズ」と言われる理由が、この話だけでわかったような気がします。 いやいや、三谷さんにはミューズなんかいっぱいいますよ(笑)。みんなのいろんな引き出しを、きっと同じように開けていると思うので、その都度どみんながミューズになっているはずです。