読売主筆・渡邉恒雄氏の墓石に刻まれた「“親友”中曽根康弘元首相が書いた一文」とは?《写真あり》
2024年12月19日に98歳で死去した渡邉恒雄氏は、中曽根康弘元首相との深い親交が知られている。渡辺氏は中曽根氏の追悼記事で、自らの墓碑銘を中曽根氏に書いてもらったことを明かしている。 【画像】中曽根元首相が渡邉恒雄氏のために書いた墓碑銘 ◆◆◆
濃密な時間を共有してきた
2019年11月29日、中曽根康弘元総理大臣が101歳で亡くなりました。 訃報に接した時、本当にがっかりしました。中曽根さんは僕より8年上。初めて会ったのは60年以上も前、僕が30歳前後のヒラ記者の頃です。爾来、僕らは何事も相談し、何かあれば必ず電話で報告し、お互いのプライバシーなく付き合ってきました。家族同士も仲がよく、お孫さんとも僕は親しい。7年前に蔦子夫人が亡くなった時も僕はショックを受けたし、僕の妻も2年前に逝ってしまった。そして、今度は中曽根さんだ……。 そんな濃密な時間を共有した人がこの世からいなくなってしまったのだから、思い出すだけで本当につらい。だから、あまり考えないことにしているほどです。 2年ほど前に、こちら(読売新聞本社の主筆室)に来て、お会いしたのが最後でした。全然ぼけてなくて、頭脳は明晰でしたが、足腰が弱り、耳もほとんど聞こえなくなっていました。僕は筆談しかないなと思い、筆と紙を用意していましたが、中曽根さんの秘書が横について“通訳”してくれました。僕が言う言葉を、秘書がはっきりした声で中曽根さんの耳元で伝えてくれる。それで自由に普通の会話ができたのです。 その後、補聴器をつけても耳が聞こえなくなってしまい、足腰もさらに弱って車椅子で生活するようになったと聞きました。最後は都内の病院に入院していたそうです。僕も足が弱くなり、耳が遠くなったりして、お見舞いに行けずじまいでした。考えてみると、僕も中曽根さんの症状をそっくり辿っているかのようです。僕の方が8年下だから、まだしばらくは持つのかもしれないけれど。
中曽根さんが書いてくれた墓碑銘
実は中曽根さんのおかげで僕の墓はもうできているんです。僕の親父が死んだ時に建てた「渡邉家之墓」が都内の寺にあるのですが、その敷地の隅の方の土地が空いており、2年ほど前に思い立ってそこに僕の墓を建てることにしました。墓碑銘は中曽根さんにお願いしたら、3日で書いて送ってきてくれました。 これがその実物です(「終生一記者を貫く 渡辺恒雄之碑 中曽根康弘」と書かれ、額装された和紙を見せる)。中曽根さんが書いてくれたこの字を、墓石に彫ってもらいました。「終生一記者を貫く」という文言は、僕からお願いした。そういう墓が欲しいと、自分で思っていたからね。中曽根さんが書いてくれたその墓に、僕は入ることになるわけです。