車いす社長・春山満は何を残したか? ピンチに動じない大局観と明日への希望
難病を抱えながら介護革命に挑み、熱い生き方で感銘を与えていた大阪のベンチャー経営者、春山満さんが亡くなって2か月あまり。春山さんが出演していたラジオ番組は春山さんの長男が引き継ぎ、春山さんの教えをリスナーとともに見つめ直す機運が醸成されています。車いす社長・春山満は、私たちに何を残してくれたのでしょうか。
介護革命の旗手が力尽きて永眠
春山さんは1954年2月生まれ。24歳で起業したものの、全身の筋肉がまひし運動機能が失われていく進行性筋ジストロフィが発症します。難病と向き合ううちに、医療や介護のサービスが立ち遅れている現実と直面。ビジネスチャンスととらえて、ハンディネットワークインターナショナル(HNI)を設立し、介護医療機器の自社開発に心血を注ぎます。 首から下がまったく動かなくても、へこたれません。車いすを駆って全国を行脚し、介護サービスの抜本的改革を訴え続けました。エネルギッシュな活動ぶりに内外のメディアが着目。2003年、米国経済誌『ビジネスウィーク』が「アジアの星25人」に選出。オリックスと提携し、春山さんが企画した有料老人ホームの運営が、全国各地で広まっていきます。しかし、呼吸機能の低下が進行し、還暦を祝った直後の2月23日、呼吸不全で死去。3月25日には、大阪府内でお別れの会が開かれ、ジャーナリストの櫻井よしこさんらが早すぎる別れを惜しみました。
暗闇でも希望へ導く『壺中有天』
大阪府箕面市のHNIを訪ねました。「春山がまだそばにいるような気がします」と話すのは、妻で専務取締役の由子さん。長男で2代目社長に就任した哲朗さんも、「父の声が日増しに強くなっているような気がします。頼りない新社長を叱咤激励しているのでしょう」と話します。 由子さんは春山さんと高校の同級生として知り合いました。高校卒業後も交際を続け、春山さんの難病発症の事実を受けとめたうえで、結婚。以来、家庭と仕事の両面で春山さんを支えてきました。春山さんは多くの語録を残しましたが、若き日の由子さんのよりどころとなったのは、『壺中有天(こちゅうてんあり)』。春山さんが師事していた東洋思想家の教えで、閉ざされた壺の中にいても世界につながっているという意味合いです。 「春山の障害が悪化する中、事業は思うように進展しない。光がまったく見えないときも必ず道が開けていると信じ、ふたりで耐え抜くことができました」(由子さん)