オタール・イオセリアーニに献杯。 Blu-rayで作品を観て、惜しみ、悼みましょう(できればグラス片手に!)
彼はコニャック片手に待ち構えていた。 2016年11月、ジョージア生まれの映画作家、オタール・イオセリアーニ監督が来日した際、インタビュー取材をする機会に恵まれた。最新作の「皆さま、ごきげんよう」のプロモーションのためだったが、話題は映画の内容にとどまらず、ノンシャラン(無頓着)を是とする監督の作品世界よろしく縦横無尽に駆け巡った。
オタール・イオセリアーニ逝去。享年89
中でも印象的だったのは、事前にストーリーボード(絵コンテ)をきっちりと作り込んで、その設計図通りに撮影するという手法についてだ。「橋の建設現場で間違いに気づいても、もう遅いでしょう」と持論を展開しながら、このスタイルは旧ソ連時代、厳しい検閲の目を潜り抜けるために身につけたと打ち明けてくれた。検閲は撮影の半ばまで進んだ時点で行われ、気に入らないとばっさりと切られてしまう。あらかじめストーリーボードで全て構築しておけば、6カ月の撮影期間があったら2カ月で撮影を済ませることができる。3カ月目に検閲官が来たときには削られてもいいカットを見せることで、検閲官も仕事をしたと満足そうに去っていく。 「綿密にプランニングをしておけば、俳優やスタッフをどう配置すればいいかはっきりとわかるし、だから私のスタッフはいつも一緒に仕事をしたいと言ってくれます」とうれしそうに話していた姿が思い出される。 そんなイオセリアーニ監督が、2023年12月17日にジョージアの首都トビリシで亡くなったというニュースが飛び込んできた。89歳だった。旧ソ連時代の1979年には本拠地をパリに移し、後年は主にフランスで映画制作活動をしていたから、生まれ故郷で最期を迎えたというのは意外だった。
検閲厳しい旧ソ連から、活動拠点をフランスへ
1934年にトビリシで生まれたイオセリアーニ監督は、トビリシ音楽院で作曲などを学んだ後、モスクワ大学で数学を専攻。54年からはモスクワの国立映画大学監督科に在籍し、58年に短篇「水彩画」を実習作として監督する。62年にはほぼせりふのない中篇「四月」を完成させるが、「抽象的、形式主義的」として当局によって上映禁止に。さらに66年の「落葉」も公開禁止処分の憂き目に遭った。