「こちらでは僕は1年生」...驚異の《防御率0点台》でカブスをけん引する「今永昇太」が亡き父から「学んだこと」
「もう少し頑張ってくれていたら…」
今永がDeNA3年目のころ、そのお店を中心に後援会が作られた。それまで店には早川氏や、彼がお世話になった星野仙一さんのユニフォームなどが飾られていたというが、それを機に今永のユニフォームやグッズが目立つところに置かれるようになった。 「私たちのものは端に追いやられました(笑) 事情を知らないお客さんは、店の人になぜ昇太のユニフォームがあるのか理由を聞くんですが、そういう場に立ち会ったときお父さんは『息子をよろしくお願いします』と頭を下げていましたね」(早川氏) その父親の孝司さんは今永が大学在学中に定年を迎えると、福岡から神宮球場に息子の雄姿を観に来るようになったという。 「お母さんの京子さんは必ずと言っていいほど昇太が投げる試合を応援に来ていましたし、お父さんも3年の秋からよく来られるようになった。そのうち東京の私の友人ともすぐに仲良くなって、神宮に来るときは、その仲間の家に泊まるようになったり、とにかく魅力的な方でした」(早川氏) 惜しむらくは、孝司さんは2年前の6月に他界し、メジャーの舞台で躍動する息子を見ることができなかったことだ。 「お母さんはメジャー初勝利に関して『お父さんが生きていたら喜んでいたと思います。もう少し頑張ってくれていたら』とおっしゃっていましたね。 ですが、お父さんが倒れたのは、昇太が日本ハムを相手にノーヒットノーランを達成した次の登板日。自宅のテレビで、1回表に先制してくれた味方の後押しを受け、マウンドに向かう息子を見届けた直後だったそうです」(早川氏) 孝司さんは今も京子さんと一緒に、誇らしい息子を見守っているはずだ。 ・・・ 【もっと読む】「今永昇太」の知られざる一面…「この人まじで何なんやと思いました(笑)」上茶谷大河をも驚嘆させた「エピソード」
週刊現代(講談社)