「ずっと競争…幸せになれるのか」韓国の子育て世帯、若者たちで進む“脱ソウル”
韓国でソウルへの一極集中が社会問題となる中、地方での生活を選ぶ子育て世帯や若者が現れている。豊かな自然環境や子育てのしやすさなど移住の理由はそれぞれだが、共通するのは「自分らしく生きたいから」。有名大学と大企業に入ることが重視される韓国社会の根強い価値観に、変化の兆しが見えている。“脱ソウル”の動きを追った。(江原道、世宗市で、山口卓) 「ソウルに教育や経済が集中しすぎていることをおかしいと感じる若者も増えてきた」 サーフィンで有名な北東部、江原道(カンウォンド)襄陽(ヤンヤン)郡の海岸から車で約10分。山中にある民宿「襄陽に生きる」で、全玉浪(チョンオクラン)さん(45)と夫の吳大勲(オデフン)さん(41)は、干し柿のおやつでもてなしてくれた。 「空気が良くて、持ってきた空気清浄器が無駄になっちゃった。子どもたちが外で伸び伸び遊べて、ここに移ってきて本当に良かったです」。全さんの言葉に吳さんもうなずいた。 ソウルでは夫婦で飲食店を営んでいた。経営は順調だったが、3人の子どもたちは大気中の微小粒子状物質「PM2.5」(韓国語で「ミセモンジ」)が増える季節に外で遊ぶと体調が悪くなるなど、都会での生活に窮屈さを感じていた。 全さんは父親を亡くして以降「お金や物よりも、家族で過ごす時間の質を上げたい」と考えるようになり、空気が澄んで景色も美しい襄陽への移住を考え始めた。周囲には「逃げた」「失敗した」という声とともに移住を不安視する意見もあったが、吳さんも「2人で協力すれば何とかなると思った」。2019年5月に引っ越した。 ◇ ただ、縁のない土地での求職は難しく「訳があってソウルから逃げてきたのでは」という目線を移住先でも感じたこともあった。 アプリなどで求人情報を探す日々。キャンプ場の管理人やサーフィン講習などの仕事をしながら、ようやく子どもたちとの時間も十分に持てる民宿の経営にたどり着いた。全さんは「田舎暮らしをしたいという人はたくさんいるけど、やはり、お金の問題で諦める人が多い」と課題を指摘する。 地方移住のもう一つのハードルは教育問題だ。学歴社会の韓国では小学校から複数の塾に通い、ソウルの大企業を目指す傾向が強い。吳さんは「大企業や有名大学は『選択』であって『正解』ではない。たくさんの経験を積んで、自分が何が好きで何が幸せなのかを考える力を育むことこそ教育だと思う」と力説する。 吳さん自身、飲食店を営む前は大企業の営業職として激しい競争の中で働いてきたが、襄陽の自然の中で子どもたちと過ごす今こそ、幸せを感じるという。 移住者は周囲にも増えてきており、仲間もできた。子どもたちは以前より自分の意見をはっきりと言うようになったと感じている。 ◇ 尹錫悦(ユンソンニョル)政権は六大政策の一つとして「暮らしやすい地方時代」を掲げている。 韓国銀行が昨年末に発表した報告書によると、人口の50・6%がソウルと近郊の京畿道、仁川市に集中。有名大学への進学や大企業への就職を求めて、15~34歳の若者の多くが首都圏に移住。人口密度が高いほど競争が激しくなり、それに勝ち抜くために結婚や出産を遅らせたり、諦めたりしていると分析している。 政府は若者の地方移住や定着を促すため、23年は省庁をまたいで関連事業に約7995億ウォン(約901億円)を投じた。19~22年の4年間に、年間約20万人の青年が都市を離れて農村へ移住したとされる。 吳さんは思う。「都市でも地方でもいい。大事なのは周りの価値観ではなく、自分で自分の人生を『主導』することだ」