昌平が初優勝。玉田圭司監督が5か月前の就任時に掲げ、何よりも喜んだ“選手たちの成長”
[8.3 総体決勝 神村学園高 2-3 昌平高 Jヴィレッジスタジアム] 優勝の瞬間、両手を高く突き上げた。昌平高(埼玉)が初の全国制覇。元日本代表FWの玉田圭司監督はスタッフたちと肩を組んで喜ぶと、涙で目を潤ませながら教え子たちが歓喜する姿を見つめていた。 【動画】広瀬すずさんが日本代表ユニ姿で見事なヘディング「可愛すぎる」「さすがの動き」 「ちょっと年のせいかね、涙脆くなってきているんで(微笑)。嬉しかったですよ、本当に。やっぱり想像はしてましたけど、それが現実になって、自然とその喜びっていうものを爆発してしまいましたね」。表彰式後に選手たちの手で宙を舞い、自身の高校時代に成し遂げられなかった日本一の味をまた噛み締めていた。 J1通算99ゴール、J2通算34ゴール、2006年ワールドカップでブラジル代表からゴールを決めたレフティストライカー。驚きの監督就任発表がされた5か月前、玉田監督は昌平の技術力が「僕は高校の中でも高い方だと思います」と認め、質にフォーカスしていくこと、自身が身につけるまでに時間を要した頭を使いながらサッカーをすること、選手個々が自分の力を出し切る環境を作ってあげることなどを掲げていた。 そして、「もちろん、やるからには日本一を目指しますけれども、色々なことにこだわって、やっぱりお客さんや親御さんが見ていてサッカー楽しいなとか、ここに預けて良かったなと思ってもらえるようなサッカーや『人間の成長』というものは見せたいですね」。補佐役の村松明人ヘッドコーチ(FC LAVIDA監督)らとともに個とチームを育成。人間的に逞しくなった選手たちが、初の全国決勝で観衆を感動させるような戦いをしてのけた。 前半16分に先制されるも、その後主導権を握り返し、前半終了間際にMF山口豪太(2年)の右クロスからMF長璃喜(2年)が同点ゴール。前後半のシュート数は計7本と相手の約半数に留まったものの、好セーブを連発したGK佐々木智太郎(3年)やDF陣の身体を張った守りで勝ち越し点を許さない。 後半29分に相手ロングスローのこぼれ球を押し込まれたが、その2分後に長が勝利への執念を示すようなドリブルシュートを決めて同点に追いつく。そして、後半34分、長の左クロスからエースFW鄭志錫(3年)が決勝ヘッド。就任1年目の玉田監督が、「みんな、信頼している」と繰り返していた選手たちとともに頂点へ駆け上がった。 「決勝はほんとに気持ちが強い方が勝つ。『気持ちが強い方が絶対に勝つことができるし、それは俺たちだ』っていうことを伝えたんで、見事やってくれましたね」。玉田監督は選手たちの成長を何よりも喜んだ。 「決勝も含めて簡単な試合は一つもありませんでした。そういう中でね、優勝ももちろん嬉しいんですけど、 大会を通じて選手たちが1試合ごとに成長している姿を感じることができて、そっちの方が嬉しいですね。大会通じて成長したところは、特に球際だったり、戦う姿勢であったりとか。技術だけでは勝てないっていうのは、選手たちも感じてくれた中で実行してくれたんじゃないですか」 これまでの昌平は、インターハイ準決勝で3度、選手権準々決勝でも3度敗れて日本一に届いていなかった。元々守備の堅さも兼ね備えていたが、テクニックと判断力がより目立つチームであったことも確か。今大会は“昌平らしさ”を表現したと同時に、ビハインドを跳ね返す力や、身体を張って相手の猛攻を耐え抜く力、勝利への思いの強さも印象的だった。 特に桐光学園高(神奈川1)との準々決勝では0-2から後半終了1分前に追いついてPK戦勝利。「やっぱり準決勝行った時の4強で、自分たちは一番勢いがあった」(玉田監督)という力も壁を破る要因になった。また、藤島崇之チームディレクターの「(プロで特別な活躍をしており)言葉の重みが違う」という玉田監督の存在、親しみやすさも初優勝に結びついたことは間違いない。 MF大谷湊斗主将(3年)は、「玉田さんになって攻撃の練習も増えたんで、ゴールに向かうっていう姿勢に関しては自分自身、やっぱり人一倍変わりましたし、(ゴール前の)最後の部分で脱力したりとか、そういうのはやっぱり玉田さんの助言があったからこそ。自分も今大会3点決めましたし、そういった部分では玉田さんに感謝しかないです。(玉田監督は普段から)フレンドリーで話しやすいです。学校の先生じゃないんで、全然絡みやすいです(微笑)。(大会期間中の)この前も、練習場からランニングして、宿舎まで帰ってたんで。あと、隙あればボール触って、コーチと一緒にリフティングしたりしています」と明かす。 また、現役時代の指揮官と同じFWを務める鄭は、「『最後、自分が取ってやるんだ』っていうメンタリティー的な部分は、玉田さんからもずっと指導して頂きました。やっぱりシュート打つ時は常にリラックスするのと、ずっと『ゲームも楽しめ』とおっしゃってるんで、それで自然に体の力が抜けたり、それでリラックスしていつもの技術を発揮できたりしていると思います」と効果を口にする。 もちろん、玉田監督一人で成し遂げた快挙ではない。いずれも玉田監督の習志野高(千葉)時代のチームメートである藤島チームディレクター、村松ヘッドコーチ、関隆倫コーチ、菅野拓真コーチ、宮島慶太郎ヘッドオブスカウトというスタッフ陣や鈴木琢朗コーチら教員コーチ、外部コーチやトレーナー、保護者・関係者、マネージャー、埼玉から往復6時間をかけて応援に駆けつけていたという控え選手、タフに成長した選手たちを含めて全員で勝ち取った日本一。指揮官は足りないところがまだまだあることを指摘した上で「日本一になれるのは1個だけで、それはほんとに誇らしいことだなと思います」と胸を張った。夏の6試合を勝ち抜く経験をした昌平は選手も、玉田監督も、スタッフも成長中。これからライバルたち以上の半年間を過ごし、冬もインパクトを残す。