鳩山由紀夫元首相は、なぜ政権の運営に失敗したのか…? 「善人」が政治に失敗する「納得の理由」
他人の言うことを真に受ける
鳩山は、首相在任中、米軍普天間飛行場の移転問題をめぐっての対応で、「ワシントンポスト」のコラムに「ルーピー(loopy)総理大臣」と書かれたのをきっかけに、日本でも愛称が「ルーピー(間抜けな)」となったのもご愛敬。 だが、担当記者(わずかな間だったが)の贔屓目に見れば、ルーピーというよりも他人に騙されやすい夢想家、という印象が強い。 彼は、その時々で発言の内容がかなり異なっているが、元側近によると、「他人を信じやすく、直前に聞いた話をそのまま自分の考えとしてしゃべるケースが多かった」と語っている。 確かに米軍普天間飛行場移転問題でも「最低でも県外」と大見えを切ったかと思えば。外務、防衛当局のレクチャーを集中的に受けたあとは「学べば学ぶにつけて、(米海兵隊の各部隊が)連携し抑止力を維持していることがわかった」と述べ、前言を撤回している。 歴史認識問題もそうだった。 首相を退任したあと、平成27(2015)年8月12日、訪韓した鳩山は、日本統治時代に朝鮮の独立運動家らが収監されていた西大門刑務所の跡地を訪れた。 独立運動家らを顕彰したモニュメントに献花した鳩山は、いきなり靴を脱ぎ、膝を屈して額(ぬか)ずき、手を合わせた。 あっという間の出来事に同行者は目を丸くしたが、本人はその後、ソウル市内で開いた記者会見で「日本が貴国(韓国)を植民統治していた時代に、独立運動家らをここに収容し、拷問というひどい刑を与え命を奪ったことを聞き、心から申し訳なく思っている。お詫びの気持ちをささげていきたい」と述べた。 なんともナイーブな善人ではある。 他人の言うことを「友愛」精神を発揮して素直に聞き、その通りだと思って行動に移す彼の気質は、政治家向きではなく、いわんや宰相にはまったく向いていなかった。
鳩山家のブランドと財力が生んだ「ルーピー宰相」
鳩山は小石川高校から東京大学工学部計数工学科を卒業、スタンフォード大学大学院博士課程を修了した「理系のひと」。 東京工業大学助手を経て専修大学経営学部助教授に就任したのだが、弟の鳩山邦夫が衆院選に出馬して当選、祖父のように総理大臣を目指して出世街道を走り始めたのが、どうやら刺激になったらしい。 37歳のとき専修大学を辞め、昭和61(1986)年の総選挙で、あまり本人とは縁がなかった旧北海道四区から自民党公認候補として出馬して当選した。 歴史にイフはないが、政治は弟に任せてアカデミズムの世界に残っていたほうが、本人のためにも日本のためにも良かったのではないか。鳩山家のブランドと財力が、夢見る「ルーピー宰相」を生んでしまった。