「親としては安心」 引退の貴景勝、実父も案じていた「体の爆弾」
「ボロボロになりながら……」
一哉さんによれば、のちのちまで尾を引いた深刻なけがに見舞われたのは、 「2015年の幕下時代でした。取組で頭同士がぶつかり、首の骨が変形して神経に当たって左半身が麻痺、左手がだらんとぶら下がってしまいました。翌日も何とか土俵に立って右手だけで勝ち、それからすぐ手術をして復帰したのですが、首の痛みはついて回りました。3年前の名古屋場所で逸ノ城関と対戦した時に古傷が再発したようで、それ以降はボロボロになりながら戦っていました」 いわば“爆弾”を抱えたまま土俵に立ち続けてきたというのだ。
「孫が相撲をやりたいと言い出せば……」
結果として早い幕引きとなったわけだが、 「5年間も大関をよく務めたと思います。年齢的には若いですが、江川卓さんや宮里藍さんも同じで、早くから活躍すると引退も早くなるものです。子どもの頃の『横綱になる』という約束は果たせなくても、何度も綱取りに挑むことができたのだから十分です」(一哉さん) 今後、常盤山部屋付きの湊川親方として後進を育成する貴景勝は、4年前に元大関・北天佑の次女である有希奈夫人と結婚、21年には男児をもうけている。 「孫は3歳になりますかね。スポーツが好きで、真っ黒に日焼けしてスイミングスクールに通っているみたいです。もし相撲をやりたいと言い出せば、私も応援しますよ」(同) あるいは、昭和の香り漂う「父子鷹」となるのだろうか。
「週刊新潮」2024年10月3日号 掲載
新潮社