小川公代さん「ゴシックと身体」インタビュー 家父長制に抗った女性たちの“戦術”
名もなき女性たちの連帯が描かれる場
――ゴシックロマンスで特に思い入れのある作品は? 修士論文のテーマにも選んだ『フランケンシュタイン』です。どうしてこんなに惹かれるのか一言では説明できませんが、メアリと夫のパーシー・シェリーと詩人のバイロン、バイロンの主治医のポリドーリ、それからメアリの義理の妹クレアの5人がスイスのディオダディ荘に滞在して、幽霊物語を競作したという成立事情がまず興味深いですよね。メアリは1831年に『フランケンシュタイン』の第3版を刊行するにあたって、1818年の初版にはない序文を書いているんですが、そこで『フランケンシュタイン』は頭に取り憑いた夢の物語がもとになっていて、衝動的に書きあげたものだと明かしています。でもにわかには信じがたい。なぜメアリがこんな序文を付け加えたかといえば、当時のヴィクトリア朝では家父長制的な価値観が支配的で、女性が才能を発揮すると批判に晒されるおそれがあったからです。それで自分の意志ではなく「無意識」がなせる業ですよと保険をかけている。女として生きるって大変だな! という思いを込めつつ、本書では当時の医学言説との関係を中心に『フランケンシュタイン』の創造性を論じてみました。 ――ゴシックの〈身体性〉は本書の重要なテーマですね。ゴシックの世界では理性でコントロールできない何かが、登場人物を突き動かし、異常な行動に駆りたてていきます。 その背後には当時の医科学思想があります。『フランケンシュタイン』では怪物を創造したヴィクターが、婚約者エリザベスに口づけすると、彼女は母親の遺体に姿を変え、うじ虫が這い回るという不気味な夢を見るんですよ。このような夢の描かれ方は、自分の意志ではコントロール不能なものとして夢を捉える、当時の医学言説を反映しています。かつてゴシックは反近代的でおどろおどろしいものだというイメージで語られがちでしたが、仔細に眺めてみると反近代どころか近代を超えて、現代まで到達している新しさを秘めているんです。 ――冒頭の2章を割いて論じられているのが、『ユドルフォの謎』『イタリアの惨劇』などで知られる作家アン・ラドクリフ。ゴシック文学史上重要な作家ですが、現代の日本ではあまり読まれていないようです。 どれも分厚いですからね(笑)。本書ではラドクリフにおける女性表象を、身体性に注目して読み解くことで、新しい価値を見出せるのではないかと思いました。ラドクリフのヒロインは感受性が鋭く、外的世界の影響を受けやすい。それは18世紀当時、否定的に捉えられることもありましたが、豊かな想像力は他者の苦しみや悪意を感知することを可能にしてもいます。それを象徴するのが、『ユドルフォの謎』で主人公エミリーが、塔に幽閉されることが決まった意地悪な叔母のために、突っ伏して救いを求めるシーン。読んでいて復讐すればいいのにと思うんですが(笑)、エミリーはそうしない。ここでは名もなき女性たちによる連帯が描かれています。 ――小川さんが一連の著作で紹介してきた〈ケアの倫理〉に通じる問題ですね。 そうともいえます。虐待されるヒロインが登場するラドクリフの小説は、現代のフェミニズム的な観点から読むと保守的に見えるかもしれません。しかし誰もがシェリル・サンドバーグ(元フェイスブックCEO)のように社会的に自立してお金を稼いで、家事も育児もこなして、という生き方が選べるわけではありません。その陰には、ケア労働に従事している名もなき女性たちがたくさんいる。ゴシックはそんな女性たちの物語なんです。強烈な個を主張したウルストンクラフトにしても、未完の小説『女性の虐待』では幽閉されたヒロインと女性看守の心の友情を描いている。ゴシックは他者の苦しみに共感する、連帯の物語でもあることを知ってほしいと思います。