なぜブルガリがグランツーリスモと組んだのか? マシンをデザインした当事者に意図を聞く【新型車デザイン探訪】
イメージの源泉は70年代のイタリア
クルマと腕時計には、オーナーが愛情を注ぐ対象という共通点がある。とはいえ、腕時計からクルマのデザインを考えるというのは、簡単なことではなかったはず。ファビオはこの難題にどう取り組んだのだろうか 「そこが最もエキサイティングであり、難しいところでもあった。たんなる『車輪の上の腕時計』になることなく、腕時計のデザインに迫りたい。スティリアーニとスケッチをやりとりしながら、腕時計からのインスピレーションと本物のバルケッタ(イタリア語で小舟。転じてライトウェイトスポーツカーを意味する)の正しいバランスを探った」とファビオは振り返る。 では、本物のバルケッタとは何か? 「実際のところ、スティリアーニと私は70年代初期のイタリアン・デザインについて多くの議論を交わした。アルファロメオのP33ロードスターや33スパイダー・クネオ、ベルトーネのアウトビアンキ・ランナバウト、ランチア・ストラトス、フィアットX1/9などだ」とファビオ。イタリアン・デザインの本質を辿る議論だった。 その成果である今回のブルガリのビジョングランツーリスモが、レトロでないことは言うまでもない。余計なものを削ぎ落としたシンプルでピュアなデザインは、トレンドに左右されないタイムレスな魅力を漂わせる。「カーデザイナーとしてのプロフェッショナリズムを発揮できたと思う」とファビオはインタビューを締め括った。
ブルガリの見果てぬ夢?
ここからは筆者が長らく温めてきた秘話。ブルガリがクルマに関わるのは、実は今回が初めてではない。1980年代後半、イタリアのトリノで日米欧のカーデザイン関係者たちが集まるパーティーがあり、そこにブルガリ創業家の兄弟二人も参加していた。友人に紹介してもらって言葉を交わすと、自動車事業に興味があると笑顔で語る。正直、本気だとは思わなかったが・・。 それから数年後、筆者は渋谷の日本料理店で、あるイタリア人デザイナーと会食した。久しぶりの再会で旧交を温めたのだが、食事が終わると彼は私に日本での活動の代理人になるよう求め、未発表のものも含めた作品集を見せてくれた。そのなかにブルガリのためにデザインしたプロトタイプの写真があったのだ。 代理人の話は断らざるを得なかったが、その後、彼は他に代理人となる会社を見つけて日本でも活躍。それを嬉しく見つめ、機会があれば記事にしてきた。残念ながら、彼はもう故人だ。実名はあえて伏せるけれど、彼の多くの業績のなかにブルガリの秘密のプロジェクトがあったことを、そろそろ明らかにしてもよい頃だと考えた次第である。 ブルガリは30年以上も前に自動車業界への進出を企図し、プロトタイプまで作っていた。そのことと今回のブルガリ・アルミニウム・ビジョングランツーリスモを直接的に結び付けるのは、適切ではないだろう。今回はあくまでグランツーリスモのなかで楽しむ夢のスポーツカーだ。しかし”ブルガリ・カー”がいつの日にか実現してほしいという夢も膨らむ。それを読者の皆さんと共有したいと思う。
千葉 匠