<センバツ・平成の名場面>平成初のノーヒット・ノーラン 第63回1回戦 大阪桐蔭vs仙台育英 センバツ 平成の名場面
1991(平成3)年の第63回大会では、大阪桐蔭の和田友貴彦投手が1回戦の仙台育英(宮城)戦で無安打無得点試合(ノーヒット・ノーラン)を達成した。大会史上10人目(完全試合を含む)、78(昭和53)年の第50回大会で完全試合を達成した前橋(群馬)の松本稔投手以来、13年ぶりの快投を演じた。 【センバツを彩った歴代応援イメージキャラクター】 140キロ近くの伸びのある直球、切れ味鋭いカーブ、右打者の外角ぎりぎりをよぎるスライダーを、スリークオーターからテンポ良く投げ込んだ。低めへの制球が抜群で、27個のアウトのうち、外野まで飛んだ打球は二つだけ。四回、四球を与えて唯一の走者を許したが、後続を併殺打に打ち取った。 終盤、仙台育英のスライダー狙いを見抜き、直球でカウントを稼ぐなど配球の工夫も忘れなかった。101球目、最後の打者を遊ゴロに仕留めたのを見届け、マウンドで右腕を上げた。 「ノーヒットは六回から知っていた。九回も意識せず、打たせて取るようにした。最後の1球はちょっと真ん中寄りに入った。いかんと思ったが、うまくアウトにできた」。試合後は実感が湧かないふうに淡々と振り返った。 平成時代、押しも押されもせぬ強豪の座に就いた大阪桐蔭はこの試合が春夏通じて甲子園デビュー戦だった。91年は和田投手と後にプロ入りした背尾伊洋(よしひろ)投手(元近鉄など)の二枚看板と強力打線で旋風を巻き起こし、春は8強入りし、夏は初出場優勝を飾った。 ▽1回戦 大阪桐蔭 301600000◆10 000000000◆0 仙台育英