ローリング・ストーンズがオリジナル曲を作るようになったのはビートルズの天才2人のおかげ⁉︎「君たち向きかもしれない」と提供された楽曲を聴いたストーンズが受けた衝撃
1時間もかけずに仕上がった『彼氏になりたい』(I Wanna Be Your Man)
UKチャートにおける当時のビートルズの勢いは、周囲を圧倒するものがあった。ローリング・ストーンズの次のシングルについて、アンドリューは作戦の変更を思いついた可能性が高い。 というのも、レコーディングを終えていたアラン・トゥーサンの『フォーチュン・テラー』が、マージービーツのデビュー・シングルのB面でもカヴァーされて先に発売されたからだ。 それを知ってアンドリューは、『フォーチュン・テラー』のお蔵入りを決めた。と同時に、勢いのあるビートルズにストーンズのための曲を提供してもらう、そんなアイデアが閃いたのだろう。 ジョンとポールにストーンズへの楽曲提供を頼んだアンドリューが、リハ―サル・スタジオに二人を連れてきたのは1963年9月10日のことだ。 「君たち向きかもしれない」と言って、まだ未完成だった曲をストーンズのメンバーに聴かせたジョンとポールは、気に入ってもらったので提供することにした。それが『彼氏になりたい』(I Wanna Be Your Man)である。 二人はスタジオの隅にあった椅子に腰掛けて、1時間もかけずにその曲を仕上げてしまった。その様子を見ていたミックとキースは、ジョンとポールの作曲能力に大きな刺激を受けた。そう、この日のことがきっかけとなって、ストーンズもオリジナル曲を作るようになったのだ。 こうしてアンドリューが描いた筋書き通りにことが進み、レノン&マッカートニーの書いた『彼氏になりたい』は、11月14日にストーンズのセカンド・シングルとしてヒット・チャートの41位に初登場、12月19日には最高12位まで上昇した。 年が明けた1964年元日。音楽シーンに多大な影響を及ぼすことになる『トップ・オブ・ザ・ポップス』が英BBCでスタート。独自の音楽チャートを作成し、その中から注目のミュージシャンを紹介するテレビ番組だ。 栄えある第1回のトップバッターを飾ったのは、ローリング・ストーンズだった。披露されたのは『彼氏になりたい』。 翌々日からは、念願だったアルバムのレコーディングに取りかかった。「シングル曲を寄せ集めたアルバムではなく、一曲一曲を自分たちの手で作り、納得できるいいものにしたい」というのが、メンバーたち共通の想いだった。 ファースト・アルバム『ザ・ローリング・ストーンズ』が4月に発売されると、ザ・ビートルズの『ウィズ・ザ・ビートルズ』に代わって12週連続で1位を記録する大ヒットになった。 内容はR&Bとブルースのカヴァーが中心で、1曲だけジャガー&リチャーズの書き下ろしたオリジナルのバラード『テル・ミー』が入っていた。 ビートルズにとっても『彼氏になりたい』は、ドラムのリンゴ・スターが歌うレパートリーとして定着した。 文/佐藤剛 編集/TAP the POP サムネイル/左:『シングル・ボックス Vol. 1<1963-1965>』(UNIVERSAL MUSIC、2004年5月21日発売)。右:『ザ・ビートルズ1962年~1966年』(UNIVERSAL MUSIC、1998年3月11日発売) 参考文献 「キース・リチャーズ、かく語りき」(音楽専科社) 「THE ROLLING STONES」 (rockin’on BOOKS)
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