バイトの足代わりがディーノ「246GT」! ランボルギーニ「ミウラ」で246をカッ飛んで…夜明け前のスーパーカーは「安かった」!?【極私的スーパーカーブーム】
カウンタック前、スーパーカーのど真ん中はミウラだった
どれか1台思い入れの強いクルマを選べと言われると、正直非常に難しい。生まれて初めて乗ったフェラーリ「365GT2+2」は、後にミュージシャンのかまやつひろしさんが買ったクルマで、彼と一緒にショートドライブしたので思い出深い。ディーノも半ば足グルマで使ったから、こいつもじつに色々な思い出がある。 でもやはり1台と言われたら、ランボルギーニ「ミウラ」だろう。ミウラはそれほど長距離を乗ったことはなかったが、その獰猛な走り、圧倒的な速さ、精悍なスタイルは今も忘れ難い。当時、まだせいぜい4000kmぐらいしか走っていなかった新車に近い状態のクルマだったのだが、日本の交通状況には全くマッチせず、しかも正直メカニックの腕の方も稚拙(そう言わざるを得ないと思う)だったし、どう対処してよいかわからなかったと思うので、オーバーヒートが絶えなかった。そんなクルマで思い切り飛ばした経験がある。 時効ということで話をすれば、国道246号を100km/h以上で走った。まあ当時はそんな馬鹿なことができた時代でもあった。たかだか20歳を少し超えた若造が、まさにカッ飛びでミウラを走らせた。正直言ってよく無事で今日までこれたな……と思う。 ランボルギーニ「カウンタック」は誕生していたものの、生まれたてのためにまだ入荷しなかった時代である。カウンタックがやってきたのは1975年の夏ごろだったと記憶する。だから、その当時スーパーカーのど真ん中はミウラだったのだ。そんなわけでスーパーカー夜明け前を語らせたら、いくらでも逸話があって話が尽きない。
中村孝仁(NAKAMURA Takahito)
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