264人の命が失われた“中華航空機事故”から30年 亡くなった夫の会社を継いだ妻と子 4月26日は「転機になった日」
専業主婦だった愛子さん。亡くなった夫の会社を継ぎ、社長に就任しました。 (高木愛子さん 72歳) 「(夫が)家に帰ってくるのが早い時は、病気の時。帰ってきたらすぐ寝ていた。会社が大事だったんだろうね。“自分の分身”みたいな。だから、会社をつぶしたら絶対にいけないと思った」 3人の子どもを育てながら、当時は珍しかった女性社長として、がむしゃらに働きました。 (高木愛子さん 72歳) 「何もわからないですから、まず会社に行くまでが大変。会社に行ったことがなかったので。『会社何やっているの?』というのもあったし、朝が大変でした。弁当作らないといけないのが」 「事故が起きていなければ」と想像することもあったといいます。 ■現社長は息子…世界を飛び回っていた父に「ずっと憧れて生きてきた」 (高木愛子さん 72歳) 「新幹線に乗って、家族連れとか夫婦を見た時に、『私はああいうことがないんだな』って悲しかったのを思い出します。飛行機事故って犠牲者がすごく多いと思うので、もうこういう事故はなくしてもらった方がいい」 愛子さんが懸命に守り続けた会社は、10年前から長男の智英さんが継いでいます。 (長男の智英さん 46歳) 「台湾で製造しているハンドルなんですけど、30年以上のロングセラー品で、父親の代からスタートしているので、思い入れのある商材。事故が起きた日も、これを作っている業者の商談に行った帰りでした」 現在46歳。父親が亡くなった歳を超えました。息子の翔英君は中学3年生の14歳。自分が父親を失ったのと同じ歳ごろです。 (長男の智英さん) 「子どもの時に見ていた父親像は、前向きで世界に向けて飛び回っていたイメージで、ずっと憧れて生きてきた。子どもに対しても接し方を考えながら、いろいろなことをしてきてくれたので、私もしてきてもらったことは返したいと思って、子どもと接しています」 智英さんが社長になって扱うようになった製品が。 (長男の智英さん) 「黄色いチェーンの枠で囲われたところが“航空に向けた材料”になっています。厳しい管理の中で、“航空スペック”という物の中に入れて、管理しています」 航空事故は二度と起きてほしくない。素材の面から『安全を支えたい』という思いも。 ことし1月、羽田空港で起きた衝突事故。旅客機の乗員・乗客379人は迅速な避難で奇跡的に全員無事でした。