森で出会った若者を刺殺、ガチョウを体の穴に突っ込む…ロシアの“鬼才”による「いろんな意味で畏るべき」小説(レビュー)
四十がらみの男フョードル・ソンノフが、森の中で出会った若者を包丁で刺し殺し、その死体の前でサンドイッチを美味しそうに食べながら身の上話を始める。2015年に没したロシア現代文学きっての鬼才、ユーリー・マムレーエフの『穴持たずども』は、そんな悪逆非道なシーンから幕を開けるぶっ飛んだ小説だ。 フョードルがねぐらにしているのはモスクワ郊外の人里離れた村レベジノエの共同住宅。ここには自分の妹のクラーワの他に、コーリャ爺さん、その娘のリードチカと夫パーシャ、17歳のペーチャ、14歳のミーラからなる一家が住んでいる。そこにアンナが間借人として来訪。彼女はフョードルに関心を抱き、形而上派を名乗る仲間に紹介することに。こうして、〈一人残らず押し流してやれたらな……あそこへ……空虚な場所へ〉と願って殺人を繰り返すフョードルと、〈外的世界は現象、見かけにすぎず、その向こう側には絶対に認識不可能な何かが隠れている〉と信じる形而上派リーダーのパドフが出会うことになり―。 と書くと思想小説と思うかもしれないし、たしかにそういう面もあるのだけれど、この作品のぶっ飛び要素はキャラクターにある。ガチョウをあそこに突っ込むような性的人間クラーワ。自分の体に〈様々な菌や苔癬や吹出物などのコロニーを栽培しては〉削って食べているペーチャ。クラーワの家に病気療養にやってきたものの、共同住宅の面々から悪い影響を受けて、敬虔なキリスト者だったのに鶏人間と化してしまう老人ニキーチチ。などなど総勢15名を超える奇人変人が跋扈してこちらの想像を超えてくる物語なのだ。 でも、奇行としか思えない言動にも彼らなりの理屈(あるいは思想)がある。腹をすかせた穴持たずの熊のごとく精神の飢餓を抱えた面々が、〈この暗く残酷で神秘的な世界〉でそれぞれの我を通していく様を描き、いろんな意味で畏るべき小説だ。 [レビュアー]豊崎由美(書評家・ライター) 協力:新潮社 新潮社 週刊新潮 Book Bang編集部 新潮社
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