伏線だらけ?朝ドラ「虎に翼」の新しさ “エキストラの女子”、松ケンの“甘味”の意味とは
通行人のエキストラまで芝居で“伏線”をつくっている?
朝ドラでは普通、背景に登場する街の通行人らに演技らしい演技をさせない。背景の人が目立ってはいけない、さりげなく演じてもらうのが定番だ。ところが『虎に翼』では、エキストラと呼ばれる演技者たち、なかでも女性があえて目立つような芝居をしている。 第3話では、寅子を見合い結婚させることに熱心な母親の猪爪はる(石田ゆり子)が、親戚の不幸をうけてしばらく香川県の丸亀に里帰りする。母の不在の間に、寅子は父の直言(岡部たかし)に法律を学ぶために大学の女子部に進学したいと思いを打ち明け、入学願書を出しに行く。父と娘は帰りに甘味処で今後を語り合うが、その途中の神田の路上の光景は、伏線だらけだった。「あんこう鍋」の店の前では、肩掛けカバンを下げた短パン姿の男子児童2人が、一人で歩く女子児童に向かって何か叫び、走り去っていく。嫌なことでも言われたのか、その女子は急に重い足どりになった。季節は夏である。 第5話でも、季節が冬に変わって、再び神田の「あんこう鍋」店の前の光景が出てきた。風呂敷を持った和服の若い女性が思いつめるように一瞬立ち止まって歩く。その脇を肩掛けカバンの男子児童2人が、前回も登場した女子と立ち話をした後に走り去っていく。男子にいじめられたのか、一人になった女子は手で涙をぬぐう仕草をする。その脇を寅子が通り過ぎ、母親と待ち合わせた甘味処まで歩く。 女子児童は男子2人にいじめられていたのだろうか。このシーンは、女性が男性の横暴に悩まされるという暗喩なのか。街の雑踏で通行人にわざわざ芝居させるのは、脚本家や演出家が考えた一種の伏線なのだろう。第1週ではどうやら伏線らしいという点に留まり、回収されるところまでは見届けることはできなかった、だがこのドラマは、今後あちこちに伏線を散りばめていくものと思われる。
合いの手のように入る尾野真千子の「心の声」
母親はるの留守中には、寅子の大学進学に理解を示し「母さんを説得する」「全部なんとかする」と大見得を切っていた父・直言。ところが実際にはるが戻ってくると、手のひらを返したように口をつぐみ、約束を忘れたように振る舞う。 妻を怖がる不甲斐ない父親を前に、寅子は口には出さずに目の表情で訴える。寅子の心の声は、語りをする尾野真千子が代弁する。 「なんでなの? お父さん…」「そんなにお母さんが怖いの…?」 兄・直道(上川周作)と親友の米谷花江(森田望智)の結婚式で、母に「結婚も悪くないでしょ?」と囁かれた寅子は、酔った父に引っ張り出されて余興で「モン・パパ」という流行歌を歌う。家の中でパパはママの尻に敷かれて頭が上がらない現状を子どもが暴露する歌詞だが、男性が圧倒的に上位にいたこの時代では、皮肉にしか聞こえない。女が幸せになるには結婚しかないと断言する母親の強硬な考えが変わる気配もない。寅子はなかばヤケクソで、笑顔を浮かべながら歌っていた。その表情に浮かぶ「心の声」を、やはり尾野真千子が代弁する。 「結婚は悪くない、とはやっぱり思えない。なぜだろう? 親友の幸せは願えてもここに自分の幸せがあるとは到底思えない」 「なんで女だけ、ニコニコ…こんな周りの顔色うかがって生きなきゃならないんだ? なんでこんなに面倒なんだ?」 尾野の声色は、次第に怒りの色を帯びてくる。 「なんでみんなスンとしているんだ? 何でなんだ?」 母親を始め、世の妻たちは家の中とは違って、外ではとりすました姿を見せる。表面的には笑顔を浮かべながらも、けっして本音を言わない女性たちに寅子は強い違和感を抱いていた。 怒りがこもる寅子の内心の語り。客観的な描写も声色で読みわける尾野真千子の語り……演技派俳優による語りが入ると、役者たちの演技に思わず見入ってしまう。