<人口ゼロ=集落の終わり>ではない!「無住集落」の3つの形と「撤退」戦略の好事例、再興を意識した前向きな「縮小」とは
時々、明るいニュースを聞くこともあるが、過疎化が進む山間地域の現状には依然として厳しいものがある。山間地域を車で走れば、空き家、廃屋、放棄された耕地がいくらでも目にとまる(写真(1))。河川区域はさておき、平らな場所が雑草で深く覆われていたら、十中八九、放棄された耕地と考えてよい。 では、国勢調査の人口、常住人口(常に住んでいる人の人口)がゼロになった集落は、どうなっているのか。その問いへの答えを起点として、「活性化による常住人口の維持が難しい集落(常住人口あり)」の長期的な生き残り策について考えたい。 厳しい過疎地の維持を考える上で避けることができない「財政の問題」についても言及する。
人がいないように見えない無住集落の「リアル」
ここでは、国勢調査の人口(常住人口)がゼロになった大字(「おおあざ」と読む、江戸時代の村の範囲を指すことが多い)を「無住集落」と呼ぶこととする。 無住集落と類似した用語に「廃村」というものがある。インターネットで「廃村」の画像を検索すれば、廃屋が並ぶ「不気味な画像」が多数ヒットするはずである。しかし、そのような風景は現実のごく一部にすぎない。 無住集落の大半は、「(1)よく見られる集落(常住人口あり)と見分けがつかないような無住集落」「(2)よく見られる集落とは言いにくいが、何らかの形で活用されている無住集落」「(3)深い緑で覆われた無住集落」のいずれかである。 筆者の地元である石川県の事例を紹介する。なお、石川県内の無住集落(ダムで水没した場所などは除く)の数は、2015年の時点で33カ所、20年の段階で44カ所である。5年間で11カ所も増えたことになる。
まず、「(1)よく見られる集落と見分けがつかないような無住集落」の好例を三つ紹介する。 第一は、比較的条件のよい場所にある白山市の無住集落である(写真(2))。白山市役所からの距離は約27キロメートルであるが、道路の状況は、農村の感覚では良好であり、拍子抜けするほど容易に到達できる。写真をみれば一目瞭然であるが、外見だけで「ここが無住集落」とわかる方はいないと思われる。 第二は、比較的隔絶した場所にある小松市の無住集落である(写真(3))。小松市役所から約30キロメートル、標高約600メートル、積雪が比較的厳しい場所に位置している。冬季以外は車で到達できるが(冬季は道路が閉鎖)、道幅が狭い区間が目立つ。とはいえ、冬季以外は、写真のような明るい雰囲気が維持されている。 第三は、有人のパン屋がある金沢市の無住集落である(写真(4))。よく見られる集落であっても、「山間地域に有人のパン屋」というのは珍しい。金沢市役所から約12キロメートルという有利さはあるが、高い活力を維持している無住集落といえる。 筆者は、秋田県と石川県を中心に、これまで100カ所以上の無住集落を調査したが、そのような無住集落は別に珍しいものではない。国勢調査の常住人口にカウントされない人々(普段から当該集落に住んでいるとはいえない人)が集落を維持している、ということである。なお、常住人口ゼロといっても、限定的な居住が見られることはある。 ただし、集落維持の担い手の多くは、元住民やその縁者である。「農村の価値に気がついた都市の住民がボランティアで」という感じではない。