【千利休の末裔が語る“いつも感じのいい人”の習慣】「ご縁」を大切にする人は、人づきあいがうまい
たとえば結婚。結納は本来、両家の価値観をぶつけ合う機会だった
結納とは、婚姻によってふたつの家が親戚になることを祝い、仲人を立てて結納金や結納品などを受け渡しする儀式のこと。今では省略してしまうか、レストランやホテルなどで略式の顔合わせや食事会として行うことが多くなっている。 「結納によって正式な婚約が成立するわけですから、かつて結婚が家と家との結びつきであった時代には、たいへん重要な儀式とされていました。結納の手順を踏む中で、歴史も考え方も違うふたつの家がそれぞれの価値観をぶつけ合うことになり、それを乗り越えていけるかということが試されたわけです。 現代であっても、婚約や両家の顔合わせや食事会、結納をいつどのようにするかといったことをひとつひとつ決めていく中で、婚約者それぞれが育った家の価値観やしきたりといったものが初めてあらわになってくるはずです。 儀礼とは、一見非合理的でめんどうなものと思われがちですが、型が決まっているからこそ、そこに人の気持ちや本質が現れてくるという側面があります。結納や婚約といった儀式もまた、その後の結婚生活がうまく継続できるかどうかを確認するための、大切な通過儀礼と言えるのではないでしょうか」(千氏)
新郎新婦が自立している現代では、仲人は不要
かつて、結婚披露宴では仲人夫妻が必ず新郎新婦の隣に座っていたが、今ではほぼその姿は見られなくなった。仲人さんの紹介によるお見合い結婚という例が少なくなったからもあるだろうが、ほかにも理由はありそうだ。 「一昔前とくらべて、今は男女共に社会的経済的に自立してから結婚する人がほとんどです。招待客も自分たちが直接親しくしている友人や上司がほとんどで、親の関係者を招くことはまれです。こうした二人の結婚式では、親代わりとして常に補佐する役割の仲人さんは、もう必要なくなったと考えていいのではないでしょうか。 仲人さんが存在した時代の結婚披露宴では、新郎新婦が自分の言葉で話す機会はほとんどありませんでした。また、招待客も親のつながりで呼ばれる人が多く、極端な例では新郎新婦の顔も知らない名士などが主賓として座ることも多々ありました。今は、新郎新婦自身が招待客を選び、本人が挨拶をすることがふつうになっています。これもやはり、新郎新婦が経済的にも社会的にも一人前の大人であり、すでに独自のコミュニティを形成しており、そのつきあいを中心に招待客を選ぶようになったからだと思われます」(千氏)