箱根駅伝Stories/主将でエースの駒大・篠原倖太朗「2区でも3区でも盛り上げる走りを」
新春の風物詩・第101回箱根駅伝に挑む出場全21チームの選手やチームを取り上げる「箱根駅伝Stories」。新たな100年への第一歩を踏み出す大会に向かうそれぞれの歩みを紹介する。 箱根駅伝2025 駒大のエントリー選手名鑑をチェック!
高校時代は往復40km自転車通学
ハーフマラソンと、5000mの屋外日本人最高タイムを持つ駒大の篠原倖太朗(4年)は、主将としてもエースとしても頼もしい存在だ。 しかし、高校時代の5000mベストは14分36秒11。この世代は新型コロナの影響で、高3のシーズンにレースが軒並み失われたこともあるが、まだまだ身体の線が細かった。ケガも多い選手だったという。 自宅から千葉・富里高時代は自転車通学していた。自宅から高校へ片道20km。1日に40kmもペダルをこいでいたのだ。そこに芯の強さと脚力の源泉がある。 高校時代の実績と言えば、全国高校大会1500m3位。中止になったインターハイに替わって行われた大会で、出場枠40のうち資格記録は39番目で滑り込んだ。弾力のある走りが、ようやく陽の目を見た時だった。 駒大に飛び込み、みるみる成長した。世界を目指すルートに入った田澤廉(現・トヨタ自動車)を中心に「Sクラス」が結成され、これに加わった。 同い年ではトップを走り続けても、練習の場で田澤廉、鈴木芽吹(現・トヨタ自動車)、佐藤圭汰(3年)に刺激される日々。彼ら相手にはレースでもなかなか勝てず、悔しい思いをした数の方が多い。学生最高をたたき出しても、慢心がもたげるスキは1ミリもない。 今年9月、5000mの屋外日本人最高となる13分15秒70を手にした。その後に交わした言葉を、藤田敦史監督が明かしてくれた。 「そのレースの後、篠原が私に言うんです。『先着した鈴木さん(芽吹)だったら、次のレースでも再現性を持って同じくらいで走るでしょう。自分にはまだそれは難しい。だから頑張らなきゃいけないんです』と」。
高いレベルでの安定
箱根駅伝1区区間賞で走り出した今季は、初めてケガなく過ごした。トラックにロードに、数多くの複数の距離でレースに出場し、どれも高いレベルで安定していた。自己ベストでの日本選手権入賞や、新記録のレースにも課題を見出す。その一方で、不調でも投げ出さず、走り抜いたレースもある。 篠原の1年を振り返るとき、語るべきはむしろ、不調だった試合かもしれない。そのうちの1つが出雲駅伝。6区で國學院大の平林清澄(4年)に一時は並びかけたが、引き離された。「自分との対話で精一杯でした」。 出雲駅伝のステップに置いた9月の5000mで快記録を出し、それゆえに調子の波長が思惑とずれたことによる。12月の八王子ロングディスタンスは翌年の東京世界選手権チャレンジを念頭に置いた一戦。こちらは全日本大学駅伝7区区間賞からの準備が不足していた。 全日本では1kmあたり2分50秒で17kmを押し切り区間賞をつかんだ。トラックの10000mではこれを1kmあたり2分45秒の水準に上げたい。そこにフォーカスする時間が不足していた―と篠原は解説する。 八王子のレースでは先頭から離れ最大目標を失った後、篠原は1kmあたり2分50秒を刻むことに専心した。「維持して走ろう。それは箱根につながるという意識でした」。その切り替えは、20km超の箱根駅伝への切り替えでもある。 1年前は全日本がやや短い11.9km区間で、八王子で27分38秒66の自己新の過程。それとはやや異なるステップになった点を計算し、箱根駅伝への準備を進めている。 1年時は出場しなかったが、下りの特殊コース・6区に準備。2年時は3区で総合優勝に貢献し、3年時は1区で抜け出した。いよいよ2区への登板はあるのか。チームのために持ち前のユーティリティを発揮するのか。 「2区でも、3区でも盛り上げる走りをしますので、どっちでも楽しみにしてください」。ピカピカに磨き上げた走りを見せてくれそうだ。 しのはら・こうたろう/2002年9月3日生まれ。千葉県山武市出身。千葉・山武中→千葉・富里高。5000m13分15秒70、10000m27分35秒05、ハーフ1時間0分11秒
奥村 崇/月刊陸上競技