“コーヒーで描く”アーティスト、チェイス・ホールのアメリカ
■“他者”としての自分 アトリエに入ると、緑豊かな競技場でヘルメットを手に佇むアメフト選手を描いた高さ2.5mほどの絵があった。満員のスタジアムは、ココア、キャラメル、栗色、銅色といった微妙な明暗のコーヒーで表現されている。これは、ホールがデイヴィッド・コルダンスキー・ギャラリーで開催予定の個展のために仕上げた十数点の新作のひとつである。 ホールの描く人物は、かつて人種的な隔たりがあった、あるいは今でもある場所に置かれることが多い。障害物を飛び越えようとする黒人の馬術選手や、煌びやかなマリブのビーチでロングボードを持って裸でポーズをとる筋骨隆々の男たちがそうである。彼の作品は、ミッドセンチュリー期のアメリカのレクリエーションのシーンを、個人的な、ほとんど神秘的な思い出として再構築したものだ。 「ヘンリー・テイラーの作品に自分の家族が見えます。ケリー・ジェームズ・マーシャルの作品に、私の未来と黒人のビジョンが見えます」と、彼は言う。黒人作家としてのホールの貢献は、彼自身の“他者”としての経験を、独特の洗練された絵画に昇華することである。 ここ数年、ホールの作品は、アーティストのキャリアを長い目で見る傾向のあるパトロンを惹きつけている。「この作家が美術史的なコミュニケーションに深く根ざしていることは、最初から明らかでした」と、パーマーは言う。「チェイスは、自分のやっていることが美術史のためのものだと理解しています」 ロサンゼルス・カウンティ美術館、ダラス美術館、ルイ・ヴィトン財団、ブルックリン美術館、ハマー美術館、ホイットニー美術館が近年ホールの作品を購入している。彼のコレクターには、ニューヨーク近代美術館の理事であるA・C・ハッジンズ、アート・パトロンのマーティン・アイゼンバーグ、有色人種の若手アーティストの強力な支援者であるバーナード・ランプキンなどがいる。 彼の評判は、アート界の外にも伝わってきているようだ。昨年のフリーズ・ロサンゼルスでは、タイラー・ザ・クリエイターがデイヴィッド・コルダンスキーのブースでホールと一緒にいた。タイラーとの会話について、ホールの口はかたい。「彼は好意的でした。ちょっとしたクリエイター同士の会話ができましたよ」 「チェイスには本当に素晴らしい交友関係があり、それが作品を様々な形で後押しし、創作活動を強化するのに役立ってきました」と、サージェントは言う。「大勢の重要なコレクターが彼の作品を所有しているのです」 ホールと私は、アメフト選手を描いた絵の前で立ち止まった。ホールと同じように、この人物も長い手足と広い肩のがっしりとした体格をしており、生まれながらの自然体という独特の雰囲気を醸し出している。アスリートは彼の作品の一貫したテーマだ。 ホールは主にアメフトと野球で育ち、ロドリゲス・ホールはスポーツ一家の出身である。彼女の母方の祖母ジョージア・フロンティアは、NFLセントルイス・ラムズのオーナーだった。パーソンズで学んだ後、ロドリゲス・ホールはファッションブランド、ロロドを共同設立した。彼女がデザインしたローデニムのカーペンタージーンズと、着古したボーディのシャツがホールの毎日のユニフォームとなっている。 私の目には、ホールは服を描かせればデイヴィッド・ホックニー以来の画家のひとりだ。すぐ近くには、正装に身を包んだ男たちが描かれたキャンバスが、服は剣であり盾であるという洒落者のサルトリアリズムを賛美している。別のキャンバスでは、黒いジャケットを着た騎手が栗毛の馬とポーズをとっており、全体の構成をペールピンクのネクタイが調和させている。ホールがパーソナルスタイルを通した自己表現に魅了されているのは明らかだと指摘すると、彼はこう言った。「私は人のルックが好きでね。相手を見つめ、目を合わせるんです」 「C」のロゴが入ったフットボール選手の青いジャージは筋肉に張り付き、太腿のパッドは長年の使用を感じさせる色味を帯びている。その服装は、時制の微妙なずれを示唆する。彼が着ているのは人種隔離時代のユニフォームだが、立っているのは現代的な大型スタジアムだ。 不気味な光景であり、曖昧に描かれた多義的な瞬間である。彼は歓声を浴びているのか、ブーイングを浴びているのか? 勝利に酔っているのか、それとも疲れているのか? 彼の髪、鼻、唇はペイントされておらず、素のままのコットンキャンバスが露出している。白いコットンにブラックコーヒー……ホールの絵はどれも、複雑な歴史を連想させるこのふたつの日用品を重ね合わせている。彼が「黒と白の交わり」と呼ぶものの逐語的な表現だ。 「どの絵の中でも、チェイスは自身の個人的なアイデンティティとアメリカにおける人種の歴史について語っています」と、サージェントは言う。「それに、ミックスルーツの人々がこの空間には存在するということも。そして重要なのは、彼が自分はこうだ、自分はああだという態度をとらず、その中間を探ろうとしていることです。彼はキャンバスを通して、自分が何者であるかを考えているのです」 ホールは階上にある大きな資料室を見せてくれた。片側には無数の思い出の品や小物が置かれた長テーブルがあり、そのなかには“ローンジョッキー”などの人種差別的な置物のコレクションがある。この数週間前、ドナルド・トランプはカマラ・ハリスが「突然、黒人になった」と主張した。これはホールが言うところの「自分の孤立とアイデンティティを実感させるショッキングなメッセージ」であり、「より一般的になりつつある」ミックスルーツの人々に対する残酷な当てつけである。 ホールは、バンジョーを弾く黒人の風刺画が描かれた布巾を取り出した。「白人の祖母だけでなく、黒人の祖母がこれを持っているような家庭で私は育ちました」。彼はテーブルの上でそれを大事そうに広げながら言った。「自分がこぼしたコーヒーをこの布巾で拭いたら? これも今や私のものだという意味でしょうか」 ■父親になって変わった創作活動 アトリエの壁に掛かっている絵のなかにひとつだけ、ほかとは違うものがある。緑豊かなジャングルの風景に立つロドリゲス・ホールを描いた作品だ。ビキニを着た彼女は妊娠したお腹を抱え、彼女の周囲には生命が溢れている。これはホールの最も幻想的な新作のひとつであり、彼にとっての《ミロのヴィーナス》である。新しい家族を描いた最初の作品だ。 以前は、展覧会を控えているときは朝5時半から真夜中まで、ほとんど毎日絵を描いていたとホールは言う。しかし、父親になった今はそうでもない。アトリエの外で腰掛けたとき、私はこの訪問によって、彼がロサンゼルスに作品を発送しなければならない1カ月前に貴重な仕事時間を奪ってしまったことに気づいた。 絵を描き始めたいかと尋ねたとき、彼は否定した。ホールは隙間の時間を見つけて絵が描けるようなアーティストではない。彼の創作は集中力を必要とする。「ペインティングは、はしごの上や、足場に横たわったり、かがんだり、汗をかいたり、緊張したりしながらひとりでやるものです」と、彼は言う。緊張とは何だろうか。「これだけ気を遣えば、失うものも多いですからね」 しかし午後が長くなってきたこともあり、今日は休養日とすることにした。コオロギが鳴くなか、ホールはアメリカンスピリットに火をつけ、一服して目を閉じた。「父親になってからの絵は、若くて野心的な子どものときとは違う」と彼は言う。「私の心は今、私自身の外にあります。ローレン、ヘンリエッタ、アトリエの間にあるんです」。ホールの創作活動は、彼と両親との関係も癒やしてくれた。22年の結婚式にはふたりとも出席した。今、彼は自分自身の物語を作ろうとしている。 ホールはまだ、来る個展の名前は決めていない。しかし、彼はそれが自身の「成長過程の重大な瞬間」になると予想しているという。彼のキャリアを新たなレベルに引き上げる可能性は高いが、今のホールが最も関心を寄せているのは、自身と家族の人生を築き上げるという、これまでで最も壮大なプロジェクトである。 彼の父親としての役割も独学だ。娘は家の中にいる妻の膝の上で昼寝をしていて、ペイズリーは遠くで走り回っている。ホールはタバコを吸い込んで言う。「家という安全な場所があって、両親の生活もよくなったとき、自分が夢見て想像してきたすべてを目の前にしたらどうする?」 その問いへの答えは、彼にとっては明白だ。アトリエにいる私たちの背後には、彼が「成長の領収書」と呼ぶ、彼の人生で最も忘れがたい作品群がある。ホールは自身が所有する野原を眺めて言う。「世界中を旅してアートを見に行くこともできるのに、私はここニューヨーク北部で木工を学んでいます」 CHASE HALL アーティスト。1993年生まれ、米ミネソタ州セントポール出身。ミックスルーツとしての自身のアイデンティティを通し、アメリカの黒人社会をモチーフに創作を続ける。コーヒーとアクリル塗料を用いた絵画のほか、写真、彫刻なども手がける。 From GQ.COM By Samuel Hine Translated and Adapted by Yuzuru Todayama