屈辱的だった無精子症、「精子提供」を選んだ家族の子への告知の在り方は
意見がぶつかることもあったが「事実を受け入れ、子どもを迎える土台を作るために必要だった」と寺山さんは話す。それでも、周囲に無精子症の人はおらず孤独だった。怖くなると手帳に貼った世界地図を広げ「1人じゃない」と自分を鼓舞した。自分の心を支えるために「恥ずかしくて言えないような習慣がたくさんありました」 ▽覚悟 2年の話し合いの末、夫婦の考えに一番合っていたAIDを受けることにした。妻に「(私がいなくなっても)1人でも育てていけるの」と聞かれ、血縁がないことを言い訳にしないと決めた。「第三者の精子を使うことは2人で出した結論。それなら、2人の子どもだ」 人工授精を20回行ったが結果が出ず、不妊治療が充実している台湾へ渡航。匿名の同じドナーからの提供で2018年に長女、2023年には次女が生まれた。「正直、本当に受け入れることができたと実感したのは生まれてから」と寺山さんは喜びをかみしめる。覚悟は決めていたが本当に愛せるのか、生まれる瞬間まで不安だった。
本や生まれた当事者から、出生の事実を隠されたことで深く傷ついたという話を聞き、子どもへの告知はすると決めていた。寺山さんは「当事者の声を聞いていたから、僕らはより良い形で告知ができている」と感じている。娘の顔を見ると、思わず告知せずにいたいとも思ったが「しない選択肢はなかった。子どもの人生だから」。 ▽居場所 「うちはどんな家族か分かる?」。告知は出産前から、妻のお腹に向かって準備運動のつもりで自分の言葉で伝えてきた。成長につれて絵本を使った説明や、何げない生活の場面でも話しているが「親切な人って誰?」「妹の時もたまごはなかったの?」と聞かれることも。「どんなことが伝わっていて、どんなことが伝わっていないか娘から学ぶことばかり」と妻は話す。疑問をすぐに聞ける環境作りが大切とも感じている。 寺山さんはAIDで生まれた女性に、自分の出自を親からどう伝えてほしかったか相談したことがある。「『あなたの居場所は永遠にここで、帰る場所も変わらない』と伝えてほしかった」と言われた。寺山さんは気付かされた。「事実を伝えることが告知だと思っていたが、そうじゃなかった。大切な家族の1人だと伝えることが告知なんだ」 ▽子が生きやすい社会に