“独りを慎む”。猫9匹と暮らす彼女の原点
【&w連載】東京の台所2
〈住人プロフィール〉 59歳(自営業・女性) 戸建て・4DK・小田急小田原線 鶴川駅・町田市 入居2年・築年数39年・ひとり暮らし 【画像】もっと写真を見る(31枚) 「ちょっとコーヒーを淹(い)れましょうか」 撮影が落ち着き、インタビューに入る前に彼女は言った。 「あいにく、最近コーヒーを飲み過ぎると体にこたえるようになりまして」 「じゃあ、カフェオレにしましょう」 彼女は湯をはった鍋にマグを沈めた。そこからかと驚いた。 豆を挽(ひ)き、コーヒーブラシでミルについた微粉をはらい、牛乳を温め、ミルクフォーマーで泡立てる。ゆっくり、静かでていねいな時間が流れる。 いつもそうしているのかと尋ねる。 「2年前、吉祥寺から転居後しばらくして預かった猫が、子猫を産んだり、病気の猫の世話が続いたりしまして。テナントビルを管理運営する仕事も忙しく、自分の食や睡眠時間がひどいことに。最近やっとこうして台所に立って、自分の暮らしや体を整えるゆとりができるようになりました」 猫9匹と暮らしている。 飼い猫3匹と共に越してきたが、地域のおもいがけない縁で保護猫5匹を預かることに。うち1匹が子猫を5匹生んだこともあり、すべての世話を終えると真夜中に。元々料理好きだが、さすがに疲れ果て、とりあえずビールとポテトチップスだけつまんで寝るような生活だった。 そのうえ、子猫に明け方に起こされる日々が続く。 「世話は楽しいのですが、睡眠不足が続き、体重もみるみる減っていきました」 子猫の里親が決まり、病気の猫の看取(みと)りを経て、ようやく落ち着きを取り戻してきたところである。 今はなるべく野菜をたくさんとるよう心がけ、ピクルス、ナムル、ラペ、ポテトサラダ、フムスなど副菜をまめに作っている。 ときには、トリッパ(ハチノス)でトマト煮込みや、多様なスパイスを使うインド料理、ケーキやパンを焼くことも。 ゆっくり風呂に入り、自宅ヨガも再開した。 先日は30分かけて、北陸の被災地への寄付ができる日本酒を買いに酒店まで歩いた。 「向田邦子さんのエッセーの『独りを慎む』という言葉がいつも心にあります。誰も見ていなくても、ひとりでも料理はちゃんと器に盛り付ける。ていねいに1杯のコーヒーを淹れる。自分のことが二の次になっていたので、そういうことは大事にしていたいなあとあらためて思っています」 作品集『男(お)どき女(め)どき』の中のエッセーで向田邦子は、ひとりは自由でいいものだけれど、ソーセージをいためてフライパンから食べたり、風呂上がりに下着姿でいたりする自分に気づき、自由と自堕落は紙一重だとつづっている。 築39年の戸建てを購入後にリフォーム。モザイクタイル壁が個性的な台所は隅々まで清潔で、猫が自由に動き回るリビングもこまめにトイレ処理をしているとのことで、臭いも汚れもない。 なるほど彼女の心に留められた言葉がこういう空間を創り出しているのかと合点がいった。