なぜ今「トノバン 加藤和彦」なのか 同時代伴走したベテラン音楽記者の目に映った〝昭和の天才〟
この映画「トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代」ができたと聞いた時、周囲の音楽関係者は「なぜ、今?」といぶかった。彼らは、加藤和彦が「天才的発想と行動力を持った音楽家」であると知っている人々である。いや音楽家としてだけでなく「人格」「存在」として付き合っていた方々もいる。ただ、話していて「確かに、彼のことを記録としてちゃんと残していなかった。僕らもじきにいなくなっちゃうから、そんなタイミングかもね」という結論に落ち着いたものだ。そして、こうやって映像を見ると「よくできている」という感想と「そんな人だったっけ」という気持ちが相半ばする。それは、彼と同じ時代を生きてきた人間の目と、今のこの時代から彼を振り返る視点の差なのかな、と感じるのだ。 【動画】「帰って来たヨッパライ」「あの素晴しい愛をもう一度」「タイムマシンにお願い」名曲と共に振り返る「トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代」予告編
世界的サウンド 「美的人生」の象徴的存在に
まずは、映画の主人公・加藤和彦を紹介しよう。ベビーブーム真っただ中の1947年3月に京都に生まれ、大学時代からプロの音楽活動を始めた。バンド「ザ・フォーク・クルセダーズ」の解散記念として発表した「帰って来たヨッパライ」が67年、社会的ヒットになる。次作予定の「イムジン河」が北朝鮮まで巻き込んだ大騒動になって発売中止になるが、代わりに出したコミックソング「水虫の唄」もヒットする。 ソロになってからは、欧米の先端音楽から世界の民族音楽まで視野を広げて学び取り、71年「サディスティック・ミカ・バンド」を結成して世界レベルのサウンドを生み出す。70年代半ば再びソロに戻ると、トップ作詞家・安井かずみと結婚。80年代にかけて映像や舞台、アニメと活動の場を広げるとともに、ファッションや料理、生活スタイルなど「あこがれの美的人生」を提案する象徴的存在にもなる。 その後も、活発な活動を行う中、安井が94年に死去。2009年10月2日に松任谷由実のコンサートにゲスト出演した半月後の17日、軽井沢のホテルで遺体で発見される。これが、音楽人名録的加藤像である。
〝最高の瞬間〟共にした人たちの証言
この映画でも語られている通り、加藤は、ほぼ音楽的天才である。その派生として洗練されたセンスがライフスタイルににじみ出たと感じられる。どうやら加藤は、どんな時も最高に美しいものを探し、手に入れると、また見たことのない「新たな最高」を探しに行っていたようだ。映画は、その折々の最高の瞬間を共にした、あるいは目撃した人々の証言ででき上がっている。 最高を探し尽くし味わい尽くしやり尽くしたのか、加藤は自ら命を絶つわけだが、その理由が本作で明らかになったわけでもない。映画に登場するきたやまおさむの見立てがほぼ正答であろうと、想像するのみである。