「源氏物語」を角田光代の現代訳で読む・橋姫① 妻亡き後に2人の娘、世を捨てきれない親王の心境
さみしくなったとはいえ、さすがに広く、趣向をこらした邸で、池や築山(つきやま)などのたたずまいは昔と変わらないものの、ひどく荒れるばかりである。宮はそれを何をするでもなく眺めている。家のことを管理する家司(けいし)などもしっかりした人がいないので、草は青々と茂り、軒の忍ぶ草も我がもの顔に一面にはびこっている。四季折々の花や紅葉(もみじ)の色をも香をも、夫婦二人でともに見、たのしんでいたからこそ、気持ちの晴れることも多かったのだが、今は一段とさみしく、頼りとするべきものもないので、宮は念持仏(ねんじぶつ(身近に置いて信仰する仏像))の飾り付けばかりを一生懸命にして、明け暮れの勤行(ごんぎょう)に精を出している。
■再婚の勧めも聞き入れず このように、二人の姫君が出家の絆となっているのも、宮にとっては不本意であり残念なことなので、自分の心ながら、思い通りにならない前世の因縁だったのかと思わずにはいられない。ましてなぜ世間の人のように今さら再婚などできようかと、年月がたつにつれて俗世のことをあきらめつつある。今では心ばかりはすっかり聖(ひじり)になりきっていて、北の方が亡くなってからは、ふつうの人が女に対して抱くような気持ちなどは、かりそめにも持たないのだった。
「何もそこまで……。死に別れた時の悲しみは、世にもう二度とはないほど大きく感じられますが、時がたてばそうばかりでもないはずですよ。やはり世間の人のように再婚もお考えになったらいかがでしょう。そうなればこのように見苦しく荒れてしまったお邸の中も、自然ときちんとしてくるのではないでしょうか」と、周囲の人は意見して、何やかやとふさわしそうな縁談を持ってくることも、縁故を通じて多かったが、宮はまったく聞き入れない。
念誦(ねんじゅ)の合間合間には、この姫君たちの相手をしている。だんだん成長する二人に、琴を習わせ、碁打ち、偏(へん)つき(漢字をあてる遊び)など、ちょっとした遊びごとをしていると、それぞれの性格も見えてくる。大君は聡明で思慮深く、重々しく見える。中の君はおっとりと可憐(かれん)で、はにかんでいる様子がじつにかわいらしく、それぞれにすばらしい。 春のうららかな陽射しの下、池の水鳥たちが寄り添って羽をうち交わし、思い思いにさえずる声など、いつもならなんでもないことと見過ごしていた宮だが、今は、つがいが睦まじくしているのをうらやましく眺め、姫君たちに琴などを教えている。二人ともいかにもかわいらしく、まだちいさい年ながら、それぞれ搔(か)き鳴らす琴の音色がしみじみとおもしろく聞こえるので、宮は涙を浮かべて、