「源氏物語」を角田光代の現代訳で読む・橋姫① 妻亡き後に2人の娘、世を捨てきれない親王の心境
生き長らえているにも、まことに見苦しくたえがたいことの多い人生であるけれど、見捨てることのできない、いとしい妻の容姿や人柄が絆(ほだし(妨げ))となってこの世に引き留められ、なんとか生きてきた。それなのにこうしてひとり取り残され、いよいよわびしいことになろう……、幼い姫君たちも男手ひとつで育てていくとなると、親王という身分柄、じつにみっともなく世間体も悪いだろう、と宮は思い、出家の本意を遂げてしまいたい気持ちになるが、姫君たちをまかせられる人もなく、あとに残していくのはどうしても心配で、ためらってしまう。そのまま月日が流れ、二人はそれぞれすくすくと成長し、その姿や顔立ちがかわいらしく、申し分ないことを明け暮れのなぐさめとして、ついつい日々を過ごしているのである。
■残された二人の姫君 あとから生まれた妹君(中君(なかのきみ))のことを、仕えている女房たちも「なんてこと、奥さまの命と引き替えのようにお生まれになって……」などと小声で言って、心をこめてお世話することもないのだが、北の方は臨終の折に、すでにほとんど正気が失せていたにもかかわらず、「どうかこの姫君を私の形見だとお思いになって、かわいがってくださいませ」と、ただ一言だけ、宮に遺言したのだった。宮には、前世からの因縁も恨めしく感じられるのだが、いや、こうなるべきめぐり合わせだったのだろうと思うのである。北の方が息を引き取るまで妹君をかわいそうに思い、いかにも気掛かりでたまらないふうに言っていたのを宮は思い出しながら、この妹君のほうをとくにかわいがってきたのだった。この妹君の顔立ちはたいそう愛らしく、そらおそろしいほどうつくしい。姉の姫君(大君(おおいぎみ))は気立てがしとやかで深みのある人で、見た目や物腰も気品があり奥ゆかしい。いじらしく高貴な点ではこの姉君のほうがまさっているが、宮はどちらをもそれぞれたいせつに育てているのだった。しかしながら思い通りにならないことも多く、年月がたつにつれて邸(やしき)の中も次第にさみしくなっていくばかりである。仕えていた人々も、頼りない気持ちになって我慢しきれずに次々と暇をもらっては去っていく。妹君の乳母(めのと)も、あの北の方の亡くなった騒ぎでしっかりした人を選ぶこともできなかったのだが、その乳母すら、身分相応のあさはかな考えで幼い妹君を見捨てて去ってしまったので、宮が男手ひとつで育てているのである。