【山手線駅名ストーリー:新宿】乗降客数ナンバー1の巨大ターミナル、そもそもは「日本橋から高井戸までは遠すぎた」ことが発展のきっかけ!?
小林 明
1909(明治42)年に山手線と命名されて以来、「首都の大動脈」として東京の発展を支えてきた鉄道路線には、現在30の駅がある。それぞれの駅名の由来をたどると、知られざる歴史の宝庫だった。第7回は乗降客数世界一としてギネスにも認定されているマンモス・ステーションの新宿駅。タイトルの(JY17)はJR東日本の駅ナンバーである。
渋谷より発展が遅かったエリア
新宿駅の開業は1885(明治18)年3月1日。当時の路線名称は日本鉄道品川線で、品川―赤羽間をつなぐ駅の一つだった。この路線が山手線の前身だ。 開業時は西新宿や歌舞伎町を含めた一帯は「角筈(つのはず)村」と呼ばれていたが、1881(明治21)年の町村制施行で、「南豊島郡淀橋町大字角筈字渡辺」となった。 人口は39年後の1920(大正9)年、第1回国勢調査の時点で4万人で、「町」としては全国66位。新宿駅と同じ日に開業した渋谷駅周辺の「渋谷町」人口は8万1000人(同調査)で全国トップ。渋谷に比べると発展が遅れていた。 しかし、1889(明治22)年に甲武鉄道(現在の中央線の一部)が運行を開始したのを皮切りに、1916(大正5)年に京王線、1927(昭和2)年に小田急線が乗り入れ、一大ターミナルを形成する。1952(昭和27)年には西武新宿線の高田馬場―新宿間も開通した。 これらに連動して1920(大正9)年、映画館の武蔵野館が進出。映画館や劇場が次々と開業し、昭和に入ると、三越新宿マーケット、伊勢丹呉服店など百貨店の進出も相次いだ。 第2次世界大戦の空襲で新宿一帯は焼け野原となったが、戦後、歌舞伎の演舞場を建設する計画が持ち上がった。計画は資金難で実現には至らず、代わりにできたのが演歌の殿堂・新宿コマ劇場だ。当初の計画は頓挫したものの、歌舞伎町の名前だけが残った。新宿コマの他、映画館やダンスホールも軒を連ね、「歌舞伎町」は一大歓楽街として発展し、今も絶大なる吸引力を持つ。