学校に行かない理由が「わからない」という子どもが多発!増える不登校と変容するその実態
不登校やいじめなど、子どもたちを取り巻く諸問題は令和になっても依然、深刻なままだ。さまざまな事例を見ていくと、平成で行われた対応策のズレが際立っている。「Wedge」2024年6月号に掲載されている「平成全史 令和の日本再生へ 今こそ知りたい平成全史」記事の内容を一部、限定公開いたします。 現在、子どもたちを取り巻く諸問題は年々深刻になりつつある。一つの象徴が不登校の増加だろう。2022年度の文部科学省の調査では、小中校生の不登校は約30万人に近づく。 【図表】不登校児童生徒数は30万人に届きそうだ 不登校の定義は「年間30日以上の欠席」であり、病欠、保健室などの別室登校、フリースクールへの出席は数に入らないため、実質的な不登校、あるいはその予備軍を含めればクラスの1~2割に及ぶとされている。 平成の初期と比べれば、学校の子どもたちを取り巻く環境はかなり整備されているといえる。教員のパワハラは禁じられ、スクールカウンセラーやソーシャルワーカーが熱心に向き合っている。学外には子ども食堂などの民間支援施設も増えている。 にもかかわらず、子どもたちの問題はどうしてここまで悪化しているのか。それは平成の30年間に起きた劇的な変化と無縁ではない。 平成の初期と後期では、不登校の子どもの割合は小中校生で3倍以上になっている。ただ、前者と後者では、不登校の「傾向」が異なっていることに注目しなければならない。 初期の頃は、不登校になった子どもたちの大半は、学校へ行けなくなった理由を認識していた。いじめ、体罰、学業不振、家庭問題などだ。学校で行われていた不登校対策は、子どもからそうした理由を聞き出し、解決することだった。 だが、平成の半ばくらいから、今までとは異なるタイプの不登校の子どもたちが増加する。不登校の理由を「わからない」と言うようになったのだ。
現在、不登校の約半数が、その理由を「無気力・不安」と答えている。なんとなく行く気にならない、なんとなく教室にいるのが不安という理由で学校に通えなくなっているのである。筆者が取材した多くの教員は、体感的にはこのような子どもが7~8割を占めると語っている。 こうなった一因には、子どもたちのライフスタイルの変化があるといわれる。都市でも地方でも、昭和と比べて子どもたちが公園や空き地での雑多な人間関係の中で、自由に触れ合う機会が減少した。親の意識は〝放っておいても子どもは育つ〟から〝放っておいたら子どもは何もやらない〟へ変わり、過干渉が強まると同時に親子分離(母子分離)の失敗が目立つようになった。さらにIT機器の普及によって、子どもはスマートフォンを使用しながら育児をされたり、動画視聴やオンラインゲームといった一人遊びに没頭したりするようになる。これによって人間関係の築き方がわからない子どもが増えた。 プライベートで子どもが人と接する機会が減ったのならば、代わりに保育園や幼稚園がその体験をさせるべきだろう。だが、少子化が進んで子どもの〝奪い合い〟が起き、園の方針は自由な遊びの中で心を育むどころか、独自性を出すために英会話や算数の勉強など小学校の先取り教育を推し進めていった。 このような状況では、子どもたちが小学生になって教室での人間関係に苦痛を感じるのは必然だ。都内の小学校の校長は言う。 「今の子は人との接し方を学ばずに大きくなっています。だから、無意識のうちにクラスメイトを傷つけることもあれば、逆に傷つけられることもある。適切なコミュニケーションが取れない子が10人も20人も教室にいれば、そうなるのは当然です。それが彼らにとっては『教室の圧』となって、漠然とした息苦しさや不安から登校をためらうようになってしまうのです」 このような子どもたちが不登校の理由を言語化できないのは、その理由が自分たち自身にあることを認識できていないからだろう。