「手りゅう弾やマシンガンを使って…」《九州きっての武闘派組織》浪川会トップ「異例の引退劇」…通知書で明かされた「本当の理由」
「引退致す事に相成りました」
「私儀 浪川政浩は 永きに亘り侠道に邁進し浪川会の発展に尽力致して参りましたが 今般令和六年五月二十九日を以って引退致す事に相成りました 【写真】アメリカの極悪刑務所に10年間服役した元ヤクザの当時のヤバすぎる「威容」 諸般の事情に依り己むを得ず先代村上長二郎と共に 独立独歩の道を歩むに至った際には斯道各位様に於かれましては多大なる御迷惑御憂慮を御掛けしました事 心より陳謝申し上げます」 6月、関係者に配られた通知書に記されていたのは、長きにわたった抗争劇への思い、そして引退という苦渋の決断だった。 「九州を代表する2つの暴力団組織のトップが同時期に交代する」 そんな一報が駆け巡ったのは5月上旬のことだった。引退話が持ち上がったのは、いずれも福岡に本部を持つ「道仁会」4代目の小林哲治会長と「浪川会」の浪川政浩総裁の両氏だ。ある暴力団関係者はこう語る。 「今年に入って浪川総裁の引退説が囁かれていましたが、真偽を計りかねていた。しかもそれぞれのトップが示し合わせたように交代するなど、まさしく異例。いくら因縁があるとはいえ、『本当なのか』と首を傾げる関係者も多くいた」 両組織の関係を語る上で欠かせないのが、06年から始まった抗争劇だ。
血で血を洗う抗争劇
当時、道仁会の代替わり人事に同会の有力組織であった村上一家が反発し、離反。複数の組織とともに九州誠道会を設立し、独立という道を歩み始めた。 しかし、道仁会からすれば誠道会による組織離脱は裏切りを意味する行為でもあり、07年には誠道会の相談役、副会長が道仁会系組員によって殺害されるなど報復行為が相次いだ。この一連の事件をきっかけに2つの組織は国をも巻き込んだ抗争劇を繰り広げていく。 「同年8月には九州誠道会系組員が3代目道仁会の大中義久会長を射殺し、抗争はさらに激化。先代の死去を受け、急遽の代替わりを果たしたのが小林会長でした。 その後も手りゅう弾やマシンガンを使った攻防戦が行われ、なかには誠道会関係者と誤認された男性が道仁会系組員に射殺されるなど、一般市民にまで被害が及んだケースも発生。一連の抗争では市民を含め14人の死者を出しています」(前出・暴力団関係者) 12年には公安委員会が両組織を全国で初となる特定抗争指定暴力団に指定。翌年には九州誠道会が解散届を出し、同年に浪川総裁を頂点とした「浪川睦会」を発足。道仁会も抗争終結宣言書を福岡県警に提出し、14年に抗争指定が解除されている。
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