取り調べでは「虚偽の供述」強要も~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#20
一方で、「刺突した」とあっさり認めた者は、拷問を受けることなく取り調べを終えたということも記録に残っている。この連載の主人公、福岡県出身の藤中松雄はどうだったのか。次回から検証する―。 (エピソード21に続く) *本エピソードは第20話です。 ほかのエピソードは関連リンクからご覧頂けます。
連載:【あるBC級戦犯の遺書】28歳の青年・藤中松雄はなぜ戦争犯罪人となったのか
1950年4月7日に執行されたスガモプリズン最後の死刑。福岡県出身の藤中松雄はBC級戦犯として28歳で命を奪われた。なぜ松雄は戦犯となったのか。松雄が関わった米兵の捕虜殺害事件、「石垣島事件」や横浜裁判の経過、スガモプリズンの日々を、日本とアメリカに残る公文書や松雄自身が記した遺書、手紙などの資料から読み解いていく。 筆者:大村由紀子 RKB毎日放送 ディレクター 1989年入社 司法、戦争等をテーマにしたドキュメンタリーを制作。2021年「永遠の平和を あるBC級戦犯の遺書」(テレビ・ラジオ)で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞審査委員特別賞、放送文化基金賞優秀賞、独・ワールドメディアフェスティバル銀賞などを受賞。