「なんぼでも売ってやる」…大阪・釜ヶ崎の高齢労働者たち「クラフトビール販売で大成功!」奇跡の実話
かつて日雇いの人の街として有名だった大阪市西成区の「釜ヶ崎(あいりん地区)」。 現在、この街がLGBTQの高齢者の介護の前線となっていることを【前編:大阪・釜ヶ崎「LGBTQ高齢者の介護や就労支援の最前線になった」背景】で見てきた。後編では、引き続き拙著『無縁老人』から、高齢者の就労支援の現場について紹介したい。 【これは…】すごい!山口組若頭「髙山清司」出所 グリーン車1両貸し切り「VIP」写真 西成区の一部の酒屋では通称「暴動ビール(西成ライオットエール)」が売られている。釜ヶ崎の障害のある高齢者たちの就労支援事業としてにわかに注目されているものだ。 釜ヶ崎といえば「暴動」というイメージを持っている人も少なくないかもしれない。釜ヶ崎には、最盛期には2万人ともいわれる労働者たちが暮らしていた。彼らは手配師から給料をピンハネされ、鬱憤を溜め込みながら厳しい肉体労働に従事していた。 1960年代~70年代にかけて、そんなストレスが暴動という形で爆発していたのである。それは「西成暴動」と呼ばれ、少なくとも二十数回に及んだとされている。 しかし、そんな血気盛んな労働者たちがひしめいていたのも遠い昔。今は、彼らも高齢者となり、生活保護を受けたり、ホームレス同然の生活をしたりして、厳しい老後を送っている。 ◆「頑張らんかい!」 そんな街に、介護事業などを手掛ける株式会社「cyclo(シクロ)」が誕生したのは2008年のことだった。 代表の山﨑昌宜氏は、もともと介護事業を行う会社の社員だった。その会社が倒産することになり、西成区を含む地域のエリアマネージャーをしていた山崎氏は、シクロを立ち上げたのだ。その事業の一つが障害者の就労支援だった。 ただ、この地域で事業をするのは簡単ではなかった。障害者といっても、覚醒剤の後遺症、アルコール依存、統合失調症といった問題を抱えている人たちも少なくない。最初はカフェを開いたり、バザーをしたりするなどして就労支援を行ったが、なかなかうまくいかなかった。 そんな時、軽度知的障害のある男性が言った。 「わしは昔、ここらで酒を造ってたんや。うまい酒が造れんねん。西成の人間は、みんな朝から飲んでる。ここは酒の街や。もし社長(山﨑)が酒を造ってくれたら、わしがなんぼでも売ってやる。頑張らんかい!」 ためしに山﨑氏は他県の会社からOEM(委託者ブランド製造)でビールを500本仕入れて、新たにラベルを貼り、西成に暮らす15人ほどの人たちに営業販売をしてもらうことにした。 すると、わずか1日半で1本800円のビールが完売した。彼らは毎日のように飲み歩いているため、酒屋には様々なコネを持っている。それを活かしたのだ。 彼らは口々に言った。 「社長、酒ならどれだけだって売ってみせるで!」 その後、山﨑氏は4度にわたってOEMで500本のビールを仕入れたが、すべて1日で完売。売った人々が得た日当は3万円にもなった。 山崎氏はこの経験から「西成のおっちゃんたちは酒の販売で大きな力を発揮する」と考えた。そして銀行から融資を受け、’18年に西成区に醸造所をオープンさせたのである。 彼は次のように話す。 「この地区のおっちゃんたちはみんな酒好きで、それにかかわって稼ぐことにプライドを持っています。だからこそ、酒造りとか、酒の販売を心から楽しんでやってくれるし、それで賃金を得ることが自信につながる。この事業に携わったことで、人生が変わったという声もたくさん聞きます」 この事業で人生が変わった人物を紹介したい。戸山隼人(仮名、60代)だ。 もともと戸山は釜ヶ崎で長年にわたって肉体労働者として生きてきた。だが、結婚した後に体を壊して働けなくなり、生活保護でも生活が成り立たなかったことから覚醒剤の密売人になる。この地域には数多の暴力団員がおり、彼らに頼んで覚醒剤を卸してもらい、3人1組(見張り役、売人、売人を逃す役)で密売を行うのだ。 ◆「収入減ってもええから」 密売の仕事はそれなりに金になったが、いつ逮捕されるか気が気でなかった。妻ばかりか、子どもがいる身で逮捕されれば、一家が路頭に迷うことになる。だが、今更他の仕事に就くことはできない。 ある日、仲間の1人が密売から足を洗うと言いだした。シクロという会社がクラフトビールの販売事業をしているので、そこで働かせてもらうことになったという。 戸山はそれを聞き、自分もシクロで働きたいと思った。妻に相談したところ、たまたまニュースを見てシクロのことを知っていた。 「シクロだったらええんやない? 収入減ってもええから、そこで働きなよ」 戸山は暴力団の事務所へ行き、訳を話してから手切れ金数万円を払い、グループを抜けることを認めてもらった。そしてシクロで働くようになったのである。 現在、戸山は真面目にクラフトビールの販売事業を行いながら、その収入で妻子を養っているという。 山崎氏は次のように話す。 「クラフトビール事業をスタートして気づいたのは、利用者さんの『やりたいこと』や『やっていたこと』をすることの大切さです。うちに来る利用者さんは先天的な障害がある方より、アルコールやドラッグで中途障害になった人たちが大半です。つまり、若い頃はバリバリに働いていた。だからこそ、それができなくなった自分に負い目を感じていたり、心が荒んだりしてしまっている。 それなら、きちんと彼らがやりたいことや、やってきたことをしてもらうことで、社会で自立して生きているというプライドを取り戻してもらいたい。そうすれば、どんなに年を取っても、前を向いて生きていけるようになると思うんです」 釜ヶ崎に暮らす人々にも、それぞれ辿ってきた人生がある。大切なのは、その人生を尊重した上で、どのような形で社会とのかかわりを持っていくかということなのだろう。それこそが真に意味のある就労支援となる。 シクロのクラフトビール事業は、2018年にインターナショナル・ビアカップで銀賞を受賞したことによって波に乗った。 現在は、先述の「暴動ビール」の他、様々なクラフトビールを販売している。それを売っているのが、西成で暮らす人々だ。 取材・文:石井光太
FRIDAYデジタル