追悼。ヤクルト監督時代の関根潤三氏と長嶋一茂氏を結んだ運命の糸…「みんなに愛され人を育てた」
1988年の米国ユマキャンプを片岡氏が訪問すると関根氏は一茂氏の育成方針を熱弁した。 「即戦力というより、まず1年目はプロに慣れさせていきたい。使いますよ」 関根氏は、一茂氏に限らず、新人選手に対しては、あれこれと手をつけずにまずは好きにやらせた。今では日ハムなど育成に定評のある球団が採用している手法である。1987年には荒井幸雄に新人王を取らせている。 一茂氏のプロ初安打は、4月27日の巨人戦でガリクソンから神宮のバックスクリーンに放り込んだ特大アーチだった。衝撃デビューとなり、この年、88試合に使ってもらい、打率.203、4本塁打、22打点の数字を残した。2年目は69試合、打率.250、4本塁打、15打点だったが、その1989年限りで、4位、5位、4位と3年連続Bクラスの成績不振の責任を負い関根氏が退任。故・野村監督が新監督に就任してから一茂氏の野球人生は暗転した。1993年には父が監督復帰した巨人へトレードされている。 「せめて、あと1年、関根さんが監督をやってくれていれば、もしかしたら一茂も化けたんじゃないか。一茂の考え方は甘いし、関根さんも、自分の育て方が中途半端だったと後から語っていたが、一茂の性格には、関根さんの野球が合っていたと思う。関根さんのことを悪く言う人は誰もいなかったな。人を育て、みんなに愛された人。93歳か。大往生。ご冥福をお祈りしたい」 片岡さんは、そう言って両手を合わせた。その功績が称えられ2003年に野球殿堂入りした関根氏の監督通算成績は、331勝408敗41分け。関根氏は著書に「一勝二敗の勝者論」とのタイトルを付けている。