追悼。ヤクルト監督時代の関根潤三氏と長嶋一茂氏を結んだ運命の糸…「みんなに愛され人を育てた」
長嶋氏と関根氏の親交の深さは球界では広く知られていた。同じ東京六大学出身。長嶋氏は、巨人の監督に就任した第一次政権のヘッドコーチに関根氏を呼んだ。のちに大洋監督に就任した関根氏は、自ら「大洋・長嶋監督」の実現に水面下で動いたほど。公私において長嶋家と付き合いのあった関根氏は、一茂氏を子供の頃から知っていた。 その一茂氏が、関根氏のヤクルト監督1年目にドラフト候補として注目を浴びていた。国民的大スターのDNAを継ぐという血筋、人気に加え、立教大で、父が持つ8本の記録を抜く通算11本塁打を放ち、4年時に父と同じ三塁でベストナインに選ばれるほど実力もついてきた。 だが、片岡氏は、一茂氏の1位指名について、当時の関根監督から懇願された記憶も、相談された記憶もないという。 「一茂は野球を始めるのが遅かったので正直、立教高校時代は、プロレベルにはなかったんだ。それが大学に入ってメキメキと頭角をあらわし、何しろプロでやれる馬力、プロにとって重要な体の芯を持っていた。遠くへ飛ばす能力だけでなく内角球の裁きも素晴らしかった。確か4年の春の段階で、1位指名の方針が固まりつつあった。関根さんとも一緒に神宮で一茂の試合を見たが、一度も、その話をしたことがなかったんだ。阿吽の呼吸だな。僕も関根さんと長嶋さんの深いつながりを知っているし、関根さんも僕が、立教大の先輩で、”第二の長嶋を作りたい”とずっと話していたことを知っていた。著書に関根さんが、『僕の意向が強く働いた』と書いているそうだが、そういうことを主張する人ではなかったからね。話さなくてもお互いの気持ちがわかった、というのが正解」 ただ、関根氏も片岡氏もドラフト前に飛びかう情報戦の中で、長嶋氏の発言と巨人の出方だけが気になっていたという。もし長嶋氏が巨人からの指名を熱望し、巨人が1位指名した場合、ヤクルトが競合してクジを引き当てれば、世論の逆風を受けることになる。そういうリスクを負うのならばヤクルトも1位指名を再検討しなければならない。 しかし、長嶋氏は、最後まで「巨人」の2文字も希望球団も口にせず巨人は直前で一茂氏の指名を回避した。これも関根氏と一茂氏を結ぶ運命だったのか。 「長嶋さんが巨人と口にすることが怖かった。実は、ドラフト前の夏に偶然、軽井沢で長嶋さんとバッタリと出会い、お茶を飲んだことがあった。でも、一茂の話題は一切出なかった。長嶋さんは、のちに中日がかこって指名することになる大豊の話ばかりをあえてして一茂の話題にいかないようにしていた。僕は、それを『一茂をよろしく』とのメッセージと受けとったんだ。後から聞いた話だが、巨人は、長嶋さんのマネージャーを務めたことのあるスカウトが長嶋邸を訪ねて、『ヤクルトと大洋に断りをいれて単独で指名できるなら巨人は1位でいきます』と伝え、長嶋さんは返事をしなかったという。それに監督が王さんだからね。長嶋さんの息子を指名することはないと踏んでいたんだ。ドラフトで相馬社長が一茂を引き当てたとき関根さんは、なんとも言えない表情で喜びを噛みしめていたね」