『ホームレス中学生:田村裕』×『プレハブ青年:河井ゆずる』の貧乏コントが実現!?
7月25日(木)、東京・六本木にある蔦屋書店イベントスペースで、お笑い芸人・田村裕の著書『新装版 ホームレス中学生』(小社刊)の発売記念イベントが開催。トークショーにはアインシュタイン・河井ゆずるがスペシャルゲストとして登場し、衝撃のW貧乏トークで大盛り上がりした。 ◇貧乏には「急性」と「慢性」の2種類がある トークショーのスペシャルゲストはアインシュタイン・河井ゆずる。田村裕と一緒に登壇すると、満席となった客席からは拍手が巻き起こる。 河合をキャスティングした理由を聞かれると、田村は「『新装版 ホームレス中学生』のトークショーをさせていただけるということで、どんな形にしよう? と考えたときに、河井ゆずるさんが貧乏だったとお聞きしまして……」とコメント。 2007年に刊行された『ホームレス中学生』。河井は大ヒットした当時、手に取って読んでいたそう。河井も貧乏だったということもあり、田村の本を読んでの感じ方が、ほかの人とは少し違ったようで「多くの方は“こんな生活している人がいるんや”って感想だと思うんです。でも、僕は“あぁ あるある!と”思いながらページをめくっていましたよ」と感想を語った。 貧乏にも分類があるそうで、田村は急性貧乏で河井は慢性貧乏とのこと。河井は「スタートは僕が3歳、弟が1歳、そのときに両親が離婚して母子家庭になったんです。ごたごたもあり、借金もあった」と当時を振り返る。 田村が「他人の家のベランダに住んでたんでしょ?」と衝撃の質問を投げかけると、河井は「話がねじ曲がりすぎてます! 雑居ビルの屋上のプレハブに住んでたんです」と、これまた質問の衝撃を超える回答が返ってきた。 続けて「そのプレハブに18歳くらいまで住んでいたんです。なので僕は『プレハブ青年』ですね。ホームレス中学生の番外編みたいな感じです」と水を向ける。 それを聞いた田村は「ええやん、プレハブ青年! 読みたいわぁ~。ほんまに出版してもらって、『ホームレス中学生』と『プレハブ青年』で時代を合わせてコント作ろうや!」と提案。いつか田村と河井の貧乏コントが見られる日がくるかもしれない。 さらに、河井は『ホームレス中学生』を出版した頃の田村との忘れられないエピソードを披露する。 「田村さんは若手をよく飲みに誘ったり、ごはんに連れて行ってくれていたんです。1回、僕もご一緒させてもらったときに、ごはんをたらふく食べさせてもらったあと、ポチ袋を渡されたんです。しかも、その場にいた全員に。お正月とかじゃないんですよ。 袋を開けたら1万円が入っていて。“もらえないですよ”とみんな言ったんですけど、田村さんが“ええねん。たまたまもらったお金やから、みんなに配ってるんよ”って……めっちゃカッコよくないですか!?」 ただ、この話は続きがあるそうで、「何年後かにお会いしたら、田村さんから“あのときの1万円、返してくれへん?”って言われたんです」と話すと、田村は「めっちゃ後悔したんよ。……(今からでも)返してもらっていい?」と言い、会場は大爆笑に包まれた。 ◇21歳でM-1決勝進出。なんにも覚えてない一日 そして、話題はそれぞれのコンビの転機へ。 麒麟は結成2年目の2001年に『M-1グランプリ』の決勝に進む。 「俺、21歳だったんやで。ほんで2年目で、松本(人志)さんの見ている前で漫才したんよ。今よりエンタメ感が薄くて、しっかり審査されてる感がすごかった。今は90点台が当たり前だけど、当時は60点台とかも出てたよね。当日のこと、なんも覚えていない。そのあと発売されたDVDをみて、“あぁ、こんな感じで喋ってたんや”って」と、当時を振り返る田村。 アインシュタインは、結成10年目でようやく注目を浴びたと感じたそう。 「ありがたいことに“よぉテレビ出てるな!”って、おじちゃん、おばちゃんに言ってもらえるんですけど、そんな感覚は全くなくて。たぶん、一回のインパクトが強いんですよ。第7世代がワーッと活躍しだしたとき、しれっと僕らも“第7ですよ感”を出していたんです。 そんなある日、とある番組で“いまEXITとアインシュタインがきている!”みたいな特集をしてもらって。そのときにテレビ出演本数を調べてくださったところ、EXITは300本以上……もうほぼ毎日出ている計算ですよね。それに対して僕らは80本。おい、全然きてへんやないか!って」 その後も、それぞれの貧乏トークで大盛り上がりでトークショーは終了した。
NewsCrunch広報班