村上春樹が新訳した戦争絵本 翻訳オファーの理由を編集者に聞く
それでも時間がたつと、あんなに絶望したのに(戦争の)報道に慣れてしまうんです。“悲しい”とか“虚しい”とかも、あんまり感じなくなっていたんですよね。その事実にこの本を読んで気づきました。どんどん無関心になってしまっている自分が恐ろしいなと痛感しました。(この僕の様子が)本に描かれている人たちと一緒だと思ったんですね。世の中には僕みたいに戦争の報道に慣れてしまっている人が結構多くいると思ったので、そういう意味でも今復刊させることはすごく意味があるんじゃないかなと思いました。
■編集者が熱望した「村上春樹 訳」 きっかけは“名作絵本”
「また絶版になったら意味がない」。“より多くの人に届けるにはどうすればいいか”と考え、翻訳を作家・村上春樹さんにお願いしてみようと思ったといいます。 ――訳者として村上春樹さんが候補になったきっかけは? 村上さんのいろんな小説の中に、戦争に関する描写があります。だから戦争について絶対に関心をお持ちだろうと思っていました。それと、僕が大学の翻訳の授業で村上さんがたくさんの小説や絵本を翻訳なさっていることを聞いていたこともあり、“翻訳者としての村上春樹さん”のイメージが元々強くありました。 ――村上春樹さんの翻訳で、印象に残っているものはありますか? 『おおきな木』という絵本が昔から好きでよく読んでいました。(物語は)りんごの木に毎日遊びに来る男の子がいて、その子とすごく仲良しなんです。その男の子が成長して、例えば“お金がほしい”と言ったら、(売るために木が)りんごをあげる。とにかく男の子の欲することを(木が)全て与える。毎回与えるたびに「きは それで うれしかった」と書かれています。
(絵本の終盤、年をとった男の子が現れ)枝もなくなって幹だけになった木が、今はもう渡せるものは幹しかないから“わたしの みきを きりたおし ふねを おつくり”と言って、とうとう切り株だけになっちゃう。(それに対して)昔の訳は「きは それで うれしかった だけど それは ほんとかな」と書いてある。幼いころの僕は“うれしいわけないじゃん!”と、なんだか釈然としないような気持ちを抱いていたんです。 その後、大人になってから村上春樹さんの新訳の『おおきな木』を読んで、「それで木はしあわせに…なんてなれませんよね」となっている。「それ、僕が思っていたこと!」って、すごくスッキリしたんです。翻訳って面白いと思いました。