FA待たずメジャー志願も…ポスティング失敗の歴代選手(3)史上初の“交渉決裂”
近年のプロ野球界では、傑出の数字を残した選手がポスティングシステムを行使し、MLB入りする例も多い。一方で、同システムでのメジャー挑戦を希望するも、叶わなかった選手が存在する。そこで今回は、ポスティング申請での移籍が出来なかった一流選手を紹介する。
岩隈久志
投打:右投右打 身長/体重:190cm/95kg 生年月日:1981年4月12日 経歴:堀越高 ドラフト:1999年ドラフト5位 ポスティングシステムによる移籍を巡り、交渉権を獲得した球団と交渉がまとまらなかったのは、岩隈久志が初めてだった。 堀越高校からドラフト5位で大阪近鉄バファローズに入団すると、徐々にエース格として成長を見せ、2004年には最多勝(15勝)、最高勝率(.882)の投手2冠を獲得した。 その後、2005年に新規参入となった東北楽天ゴールデンイーグルスへ加入。数年間は苦しんだが、2008年は21勝、勝率.840、防御率1.87と圧巻の数字で投手3冠、シーズンMVP、沢村賞などに輝いた。 2009年のAクラス入り(2位)の躍進にも大きく貢献し、2010年にポスティングシステムを申請。オークランド・アスレチックスと交渉を進めていたものの、希望額の隔たりが大きく、交渉決裂となった。 その後、2011年オフに海外FA権を行使してシアトル・マリナーズに入団。抜群の制球力をメジャーの舞台でも見せつけ、計3度の2桁勝利を記録した。 また、2015年にはノーヒットノーランを達成。チームのエース格として躍動し、低迷期にあったチームを支えた。
ベースボールチャンネル編集部