【手記より】帰省中に被災 大学教授は津波警報が響く中、高齢の父親と避難した「古いこの家倒壊するかも。父をかついで逃げるのは無理。一つの決断をする」石川県能登半島地震
父親残し、不安抱えながら関西の生活に戻る
【Day3(1月3日)】 「もう7時だよ」父の呼びかけで目が覚める。枕や布団が違うと眠れない様子。弟の家に父の枕と布団を運んでもらっているから、今日から眠れるはず。父を残して8時前にホテルを出る。チェックアウト時間に弟家族が迎えに来てくれる。 駅に着き、特急が平常通り運転していることを確認。金沢駅で発車まで時間があったので、金沢の菓子・食品を買い込む。この地震で能登半島は勿論、金沢の旅行・観光を取りやめた人も多いと聞く。私に出来るのは地元消費だけ。 大阪行きの特急に乗る。また大きな地震が起これば大幅な遅延や途中下車もありうるため不安は残る。もう大丈夫と思ったのは「次は京都~」の車内放送を聞いた時。大阪は初詣やバーゲンの人で混雑。ああ、関西に戻ってきた。 実家は(今のところ)若干の被害ですみました。私も家族も無事です。 実家のある七尾も断水や余震で大変ですが、奥能登の惨状を見ると大喜びできません。私は珠洲の病院で生まれたし、母の実家も奥能登で親戚が沢山いました。実家が倒壊しないか、父が元の生活にいつ戻れるのか、不安は残ります。父が所望した渡辺淳一の小説もいつ受け取れるか。今の日常に感謝しつつ、やるべきことを粛々とやるだけです。 (以上、手記より) 現在は兵庫県に戻っている高橋教授に話を聞きました。
いま私たちができること、必要な支援は
高橋教授は、「何の不自由もない生活を送れることが不思議な感じです。ニュースを見る度に心が痛み、被災地のことが常に気がかりです。気持ちが落ち込みがちなので、目の前の仕事を粛々とやろうと自分に言い聞かせています。」と話しています。 避難中は、地域の人々の結びつきを感じることもあったそうです。「一人暮らしの高齢の父に、近所の人や民生委員が声をかけてくれたことに感激しました。子供時代の私を知る人も多く、しっかり地縁が根付いている地域だと思います。」 経済・経営を専門とする高橋教授は、いま私たちができること、必要な支援については、「一般の人が今すぐできることは、震災地への金銭的支援です。自発的な災害ボランティアや個人の物資送付は現場が混乱するので、震災募金やふるさと納税、地産品の積極購入をお願いしたい。」としています。 厳しい寒さの中、ライフラインの復旧状況も容易ではない被災地。高橋教授は、「状況が落ち着いたら、ボランティアに行って、何かお役に立ちたい」と話しています。