【手記より】帰省中に被災 大学教授は津波警報が響く中、高齢の父親と避難した「古いこの家倒壊するかも。父をかついで逃げるのは無理。一つの決断をする」石川県能登半島地震
2日目 父はもう避難所に行きたくない様子で
【Day2(1月2日)】 日の出前の6時頃、父が自宅に帰ろうと言う。余震は怖いが、高齢者には避難所は辛い。荷物を片付けて1階に降りる。配給食料を持ち帰ろうとしたら、詰所から「チーちゃん?」と、市会議員をしている同級生に声をかけられる。裏方として頑張っている様子。市役所や裏方の皆さんには感謝です。 実家に戻り、電気は使えるのでIHコンロでお湯を沸かし、貴重な水でコーヒーを淹れて一息つく。水道は使えないので、昨日餅を茹でた大鍋に入れていた水で手を洗う。貴重な生活水。捨てずに置いておく。家の中の被害をチェック。2階の部屋はタンスや鏡台が倒れて足の踏み場なし。1階の応接間も同じ。比較的被害の少なかった1階和室に2つ布団を並べて、仮眠をとることにする。父はもう避難所に行きたくない様子なので、自宅で避難生活だ。 どう水と食料を調達するか、トイレはどうする、考えながら眠りにつく。なぜか仮眠をとる前に父から「渡辺淳一の古い小説が読みたいから、ネットで購入してくれ」と頼まれる。「え?今それ?」と思ったが、Amazonで中古本を実家配送でポチする。1月6~7日配送予定。本当に届くのか。 断続的な余震を感じながら、2時間ほど深く眠れた。金沢に戻った弟から何度も着信。今から車で実家に来てくれるそう。水や食料品の調達を依頼。金沢はライフラインで大きな被害は出ていない様子。七尾市全域が断水、数日で復旧はありえない。高齢の父が免許返納してマイカーがないので、給水や買い物にも苦労する。七尾線の復活にも時間がかかる。復活したとしても高齢で足の悪い父を残して一人で関西に戻れない。9日から新学期だし卒論指導もある。震度7クラスが再度来たら古いこの家も倒壊するかも。私一人なら逃げれるかもだけど、父をかついで逃げるのは無理。一つの決断をする。
ここを脱出して、安全な場所に移動しよう
弟の車に乗って、ここを脱出して、安全な場所に移動しよう。父に納得してもらい、弟に電話で伝える。今日はどこかに宿泊して、父だけしばらく弟の家に預かってもらうことに。金沢から少し離れた町の駅近ビジネスホテルが予約できた。弟が実家に到着。悲惨な応接間を片付けてもらう。私は片付けとお節の残りをタッパーに詰める。父は荷造り。弟の家には客用布団がないとのことで実家の布団を一式車に積む。こういう時の男兄弟は本当に頼りになる。 戸締りして弟の車で金沢方面へ。金沢近くのSAでトイレ休憩。トイレの水は流れるし、水道で手も洗える。今の私には感動。ホテルに到着。近くのコンビニで食料やビールを買い込む。部屋でお節の残りとともに夕飯。ホテルには大浴場があり、今の私にはさらに感動。 翌日の大阪行き特急の運行状況をネットでチェック。和倉温泉(七尾駅の隣駅)から金沢までの特急は運休だが、金沢からの特急は予定通り運行予定。運良く9時台の特急サンダーバードの席がとれる。ホテルに来てから、ずっと体が揺れてる感じ。 速攻眠りに落ちる。多分夢は見ていない。