映画『レオノールの脳内ヒプナゴジア』監督にインタビュー。72歳のおばあちゃんがアクション映画の世界に!?
フィリピン発、サンダンス映画祭でワールドシネマ・ドラマ部門の審査員特別賞を受賞した『レオノールの脳内ヒプナゴジア』(1月13日公開)。ひょんなことからアクション映画の世界に入り込んだ、72歳の元映画監督の女性レオノールを主人公に、映画愛と創意工夫に満ちあふれたアイデアで世界中の観客を魅了してきた。現在31歳のマルティカ・ラミレス・エスコバル監督は、21歳からの8年がかりで、時に車さえ売りながら(!)、この愛すべき初長編作を生み出したという。
──フィリピンは2023年のジェンダーギャップ指数(*世界経済フォーラムが毎年公表する、各国における男女格差を測る指数。ランクが高いほど格差が小さいとされる)で実はアジア1位の国です。にもかかわらず、これまでマッチョな男性の英雄像や、あるいは政治家像が求められてきたそうですが、それはなぜでしょう? アジア1位だとは知らなかったです。でもジェンダーは世界のどこにでも存在するし、撮影現場でも旅をしていても、それをよく感じます。ジェンダーギャップが小さいという結果は嬉しいですが、実際は企業や政治におけるリーダーたちを見ていても、まだまだ男性優位です。 この実感は、今回の映画とも関連していると思います。劇中では、女性的な問題解決のアプローチを示しました。かつて巨匠監督だった72歳の女性レオノールは、落ちてきたテレビで頭を強打したことから、脚本執筆中のアクション映画の中に迷い込みます。アクション映画のようなマッチョな世界では、暴力や流血によって問題を解決しがち。たとえばフィリピンでは、前大統領の時でさえ麻薬戦争が起こり、まるでよりいい国にするためには、悪者を皆殺しにするしかないと宣言しているかのようでした。でも私はレオノールのように、コミュニケーションを通して相手を理解しようとする、成熟した人間になりたいんです。
──監督は、「なぜピノイ・アクション(*フィリピンのアクション映画)のスター俳優には、女性がいないのか?」という問いから、この企画をスタートさせたとのこと。フェミニスト的な発想だと思うのですが、監督自身はどのようにフェミニズムに触れてきましたか? 女性の映画監督として、私は自然にフェミニズムに引き込まれます。この作品はフェミニズム映画といえるでしょう。マッチョな世界に迷い込んだおばあちゃんの物語であると同時に、さっき私が話したような、暴力よりも対話を重視する女性的な視点を提示しています。それと同時に、映画が私たちをどのように違う世界に連れていくかを伝えてもいるし、主人公の実存的危機についての作品でもある。いろいろなことが描かれています。 ──“アクショングランマ”のレオノール、最高です。たくましいアクションヒロインは観たことがありますが、レオノールをそうではなく、おばあちゃんの優しさを保ったままアクション映画の世界に送り込んだのはなぜ? 女性らしい特徴を持った女性を描きたかったんです。おばあちゃんはぴったりのキャラクターでした。レオノールはハンマーを手にしていますが、使いません。「このハンマーを使ったら事態は好転するだろうか?」「私が相手を殺せば、彼らは何が問題なのかを理解するだろうか?」。彼女は賢いので、そんなわけないとわかっている。おばあちゃんである以上、他の誰よりも長い年月を生きているはず。だから、人生に対する理解が違うんです。 レオノールのキャラクターは、実の祖母からインスパイアされています。とてもいい人なんです。「どうしてそんなに優しいの?」と不思議なんだけど、それはきっと彼女がたくさんのことを見て、経験してきたから。他人を傷つけることなく物事に対処する方法を知っているんです。 ──以前のインタビューで、フィリピンのテレビではかつてアクション映画がよく放送されていて、飲食店だったり交通機関だったり、あらゆる場所のテレビで観ることができたそうですが、今も同じですか? だいぶ少なくなりました。今は配信サービスで観たいものを選べますから。でも以前は毎日午後になると必ず、アクション映画の名作が流れていた。無料だから、みんなそれを観るんです。フィリピンの家庭を想像してみてください。近所の人、同級生、家族など大勢が集まって、小さなテレビに映るアクション映画に夢中になっている。それが私の思い出です。 そうやって、フィリピン人はアクション映画が大好きになりました。明確な理由はわかりませんが、ある調査によると、自分たちがアクションヒーローに救われるべきだと感じているからだそうです。これはフィリピンに、アクションスターの政治家が多いこととも関係があります。 ──ビリヤードのキューで頭を刺すなど、シュールなバイオレンスシーンも多かったらしいですね。 悪者が豚の群れに踏み殺されるとか、投げたお皿で首が掻き切られるとか、そんなシーンも覚えています。当時のフィリピンの映画人たちは、人を殺すのに一番面白くてバカバカしい方法を競って考えていたんじゃないかな(笑)。 ──アクション映画の世界のパートと、現実世界のパート。どんなルールで撮り分けましたか? アクション映画パートは数々の思い出の作品へのオマージュとして、自分たちの記憶と、徹底的なリサーチにもとづいています。また誰もがノスタルジーを感じるようにと、フィルムで撮影されたものを、ブラウン管のテレビでVHS再生したようなダメージを映像にあえて入れています。 現実パートは観察的なワイドショットで映し出されます。登場人物に明確な行き先を与えず、ただ空間の中で動くのを見ているような感覚にしたかった。音楽もあえて入れていません。両パートを正反対の扱いにすることで、「ああ、今は違う世界にいるんだ」とわかりやすくしたんです。 ──音楽はアクション映画パートだけについていましたよね。いかにもジャンル映画的な劇伴が面白かったです。 すべてのジャンル映画は、音楽を大きなよりどころにしていると思います。なぜなら、音楽はジャンル特有の感覚や経験を構築できるから。そこで私たちは、かつてのアクション映画の音楽の“解釈”を試みました。音楽クルーに対する私の指示は、「真似するのではなく、解釈してください」。彼らはうまくやってくれました。現代的でありながら、古風な響きもあります。 ──クルーはみんな若いだろうから当然、元のアクション映画をリアルタイムでは観ていないですよね? そう、私たちのほとんどは、たとえば70年代にはまだ生まれてもいません。でも、再放送でそれらの映画を観ているから、みんなよく知っています。真似ではなく解釈を求めたのは、撮影監督やプロダクションデザイナーに対しても同様です。 照明はアクション映画についての記憶がベースです。当時はフィルム撮影の時代で、間接的なバウンスライトではなく、強いタングステンライトで直接光を当てていたと思う。だから光と影が強く出ています。撮影監督は予算内に収まる形で、便利なライトを使って、その感じを再現しました。 ──映画作りがテーマの作品ですが、劇中では亡くなったレオノールの息子ロンワルドが幽霊として登場しますよね。映画と幽霊には、どこかつながりがあると思いますか? ロンワルドは、幽霊は幽霊だけど、生きていて話すこともできます。映画ではなんでも可能だということの一つの表現です。ロンワルドというキャラクターは、私の祖母の実話から来ています。彼女は「若くして亡くなった息子が、もし今もまだ生きていたら……」というような、ifの可能性を常に想像していたと思う。そこから、レオノールが問題を抱えていると、死んだ家族がなぐさめに訪ねてくるというアイデアを思いつきました。 ──おばあさまはこの映画を観ましたか? はい。イスタンブール映画祭に、祖母と母と一緒に行ったんです。祖母にとって、この映画はちょっと衝撃的だったのではないかと思います。ある意味、レオノールと同じような経験をしているわけなので。一言「おめでとう。アクション映画なんだね」と祝ってくれた以外は何も言いませんでした。私としては、祖母が仕事現場を見てもらえただけで嬉しかったです。