「僕の命を救ってくれてありがとう」25年前に約600グラムで生まれた小さな命。赤ちゃんたちの未来の姿を伝えたい~新生児医療の現場から~【新生児科医・豊島勝昭】
早産や低体重で生まれた赤ちゃん、お産の途中で具合が悪くなった赤ちゃん、生まれつきの病気がある赤ちゃんたちは新生児集中治療室(NICU)で治療を受けます。NICUに入院中の赤ちゃんの両親は、わが子がどんなふうに成長するのか不安を抱える人が多いことでしょう。 テレビドラマ『コウノドリ』(2015年、2017年)でも監修を務めた神奈川県立こども医療センター周産期医療センターの豊島勝昭先生に、NICUの赤ちゃんたちの成長について聞く短期連載。 第7回は、NICUを卒業した赤ちゃんたちの未来について聞きました。 【画像】予定日より4カ月以上早産で生まれたお母さんと赤ちゃん。
20数年前、とても小さく生まれた赤ちゃん、緊張した状況が続いた
――先生が治療を担当した赤ちゃんたちは、今いちばん大きい子で何歳くらいになっていますか? 豊島先生(以下敬称略) もう20歳を過ぎている人もいます。今から25年前、僕が新生児科の研修医だったころに担当したゆうたくんは、当時いちばん小さい体重(約600g)で生まれた男の子でした。 ――ゆうたくんはNICUに入院中、どんな状況でしたか? 豊島 ゆうたくんは、25年前は救命が難しいと思われた600gに満たない体重で、非常に緊張した治療が続きました。スタッフたちはゆうたくんの命を守るため、そして将来的に後遺症につながるような合併症を防ぐため、一生懸命に集中治療をしていた記憶があります。 1000g未満で生まれた超低出生体重の赤ちゃんは、体のさまざまな器官や血管が未成熟なために、生後1週間以内に脳に出血を起こしたり、消化管穿孔(しょうかかんせんこう)・壊死性腸炎などの合併症が起きる可能性があります。そのような合併症が起こると、手術が必要になったり、脳性運動まひや発達遅滞などの障害が残ったりすることがあります。私たちNICUのスタッフは、小さく生まれた赤ちゃんができるかぎり後遺症少なく、命を助けたいという願いで診療にあたっています。 ゆうたくんはご両親にとって初めてのお子さんでした。ご両親がずっと保育器の中にいるゆうたくんのそばで、涙ぐみながら優しく応援していた姿が忘れられません。ゆうたくんが生まれた当時、私はまだ経験が少ない研修医でしたが、多くの先輩医師や看護師さんたちと相談しながら懸命に治療しました。 生まれて半年後にゆうたくんご家族が涙と笑顔でNICUを卒業した日には、NICUスタッフ皆で一緒に安堵(あんど)し、喜び合いました。 ――退院後、ゆうたくんはずっと先生のフォローアップ外来に通っていたんですか? 豊島 ゆうたくんの退院後のフォローアップ外来は、私は研修医だったので短期間のみでしたが、先輩医師が9歳まで担当し、ご家族は通っていました。 そして、ゆうたくんのご両親は、年賀状や学校を卒業するときなど、節目節目でいつもゆうたくんの成長を伝えてくださっていました。
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